太陽に抱かれて

「君は？」

　心底うんざりとした様子に口元が緩むのを手の甲で撫で付けるももに、シモンは顔を拭いながら訊ねてくる。
　思いがけずどきりとしたが、狂いそうになった呼吸をなんとか堪えて、ももはちらりとシモンの顔を見上げたあと、そうっと視線を片手に握りしめた紙袋へと逸らした。

「……パンを、買いに」

　ハンカチの隙間から、その様子をシモンは一瞥したようだった。だが、それもほんのひと呼吸の間である。
　すぐに、そうか、と言うと乱雑に頭を拭ったあと、ぐしゃぐしゃになった髪を手で撫で付けた。


「助かった」

　丁寧に四つに畳まれたハンカチに、ももはふるりとかぶりを振った。

　雨はまだ降り続いていた。
　サア、サア、と。細やかな雫が何重にも複雑に連なっている。
　美しいカーテンの向こう、鮮やかな赤の庇の下で、黒いベストを着たギャルソンがいかにも眠そうに欠伸を拵えている。

　雨音が耳を撫でる。
　冷たく湿った風が頬をなぞる。
　微かに、シモンの香りが鼻に掠める。
　目頭がくらりとするような、ウッディなオー・デ・コロンと、それから、テレピン油のにおい。

「アトリエに、行ってもいいですか」

　ももは気がつけば口にしていた。

　おもむろに隣の大きな男を見上げる。湿り気を帯びた横顔は、ひどくアンニュイで、どこか、色気があった。とくり、とくり、心臓がたしかな鼓動を打つ。
　シモンがゆるりと睫毛を揺らしたあと、こちらへ視線を寄越した。
　なにも言わず、自分を見上げる女の顔を眺めている。その表情は、微塵も揺れることはない。

「パン・オ・ショコラも、あります。それに、傘も」

　それでも、ももは続けた。半ば、濃いブランデーの香りに酔ってしまったかのような心地で。
　シモンは無表情のままだったが、やがて睫毛をひとつ揺らすと、だから、と言う彼女の言葉を遮り、「来い」と無精髭の生えた顎をしゃくった。

　雨のカーテンの向こうへ飛び出すシモンを、ももは慌てて追いかける。
　鞄から取り出した折りたたみ傘を開いて、背の高いシモンの上へと伸ばすと、大きな手がももからそれを奪った。