探偵さんの、宝物

四節【仮初デート】

「今日の調査、頑張りますね!
 私も早く楓堂さんのお役に立てるようになりたいんです」

 マフラーに半分首を埋めた私は、元気に言った。
 十月半ばとなると日暮れ前は冷たい風が吹く。
 楓堂さんが隣に立っていると、風が防がれて楽なのは内緒だ。

「なら、お願いしたいことがあります」
 彼は口の端を上げて、意味ありげに笑った。



 新しい相談者さんの見積もりや調査計画、契約、下見等をして、入社から二週間が過ぎた。
 そして今日、久々に現場に出ることになった。

 依頼人は四十代の奥さん。
 二か月前から旦那さんの帰りが『水曜日だけ』遅いらしい。
 「真面目な人だと思っていたのに……」と涙する姿に私も辛くなった。写真を見せてもらうと、確かに厳格そうなおじ様だ。

 私たちはオフィス街の大きなビルの前で、仕事終わりの旦那さんが出てくるのを待ちながら話していた。楓堂さんは既にバッグに偽装したカメラで入口を撮影している。
 駅に近く、飲食店や居酒屋が立ち並び、人が多く行き交っている。なので今日は車両は使わず徒歩尾行だ。

「尾花さん、今日のカバーストーリーは何でしたっけ?」
「前回と同じく『仕事終わりにデートするカップル』です」

 楓堂さんは、良くできました、という風に頷いた。

「その通り。
 ……ですから、調査開始したら敬語は使わないで下さい。
 そして僕のことは下の名前で呼んでください」
「えっ」

 ――楓堂さんを、下の名前で呼ぶ?
 突然のお願いに目を(しばたた)かせた。

「僕もそうしますから。いいですね?」
 楓堂さんは、学校の先生のように言った。
 ――私、楓堂さんに名前で呼ばれるの?

「は、はい」
 一応頷いてはみるものの、まともに会話できる自信が無かった。
 絶対に照れる。照れて何も言えなくなってしまう。

「それから、貴女は徒歩が初めてですし、緊張していると思います。
 気負い過ぎた状態だとマル被が振り向いたときなどに動揺してばれる可能性が高いです。
 ですから今日は『本当に僕とデートしている』という気持ちでいてください」

 ――本当に楓堂さんとデートしているという気持ちで?
 既に赤くなっている私は、想像だけで沸騰した。

「そ、そっちの方が緊張するんですけど……」
 コートの袖で顔を隠しながら、彼に聞こえない程度の小さな声で訴えた。

「あ、来ましたよ。行きましょう」
 そこで楓堂さんがビルから対象者が出てきたのを発見し、心の準備もできないまま徒歩尾行――仮初のデートが始まったのだった。
< 35 / 65 >

この作品をシェア

pagetop