探偵さんの、宝物
 ……いや、ふやけてばかりもいられない。
 しっかりやって依頼人さんの力にならないと。

 対象者が動き出したので、私たちは「もう少し考えます」と言って店を出た。
 今度はエレベーターに乗ろうとしている。

「先に行くね」
 私は打ち合わせ通りにそう言って、アイコンタクトする。
「うん、分かった」
 彼は頷き、握った手に一度力を込めてから離した。

 エレベーターは狭い上に、乗るときは必ず中にいる人と新しく入る人が向き合う形になる。都心で行動している以上、対象者が何度も利用する可能性があるし、その度に一緒に乗っていれば嫌でも印象に残る。
 二人で乗り込んで二人共怪しまれるのは避けたい。なので、今回は私が一人で行くことになっている。
 彼女が何階で降りたか連絡して、楓堂さんが別のエレベーターに乗って合流する手はずだ。



 私は対象者に続いて乗り込む。
 彼女は四階のボタンを押した。カジュアルファッションのフロアだ。
 遠ざかっていくガラスの向こうの街並みを見ながら、尾行中に一人で行動できた達成感に満たされていた。
 そう、この調子でできることを増やしていこう。

 降りた後、対象者から離れた場所で楓堂さんに連絡する。

「四階です」
「了解」

 楓堂さんが辿り着くまで失尾しないように目を光らせよう、と思った時。
 またインカムに通信が入る。
 業務用の機器のクリアな音声は、耳元で囁かれたのを思い出させる。

「昨日はすみませんでした」
 先程よりくぐもった、楓堂さんの声。
 ――昨日と言うと、壁際で見つめられて、耳元で……。
 思い出すとぶわっと顔が熱くなる。
 謝ってくるところが、真面目と言うか天然と言うか。

 でも、何で今言うの?
 困るよ、一人で真っ赤な顔してたら怪しいのに。
 もしかして顔を見ない方が言いやすかったとか?



 ……何で彼の言動一つ一つに心乱されるんだろう。

 いい加減、見ない振りもきつくなってきた。

 私は楓堂さんが好きなんだ。
 真面目で優しくて格好良くて頼りになるけど天然で過保護で猫に好かれる楓堂さんのことが、もう、後戻りできないくらいに。



「大丈夫です。嬉しかったから」
 私は言い終わる前に切った。
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