きみこえ
Thousand autumn



 文化祭の二日目、陽太は朝から教室の隅に膝を抱えて沈みこんでいた。

「どうしたその沈みよう。沈み過ぎて教室の床に穴でも出来そうな勢いだな」

 冬真はどんよりとした陽太の姿を見るなりそう言った。

「ああ、冬真か・・・・・・」

 陽太は虚ろな瞳を冬真にチラと向けるとまたすぐに俯いた。

「昨日何かあったのか?」

 冬真は昨日、ほのか達と別れてから陽太達と当番のローテーションですれ違い、帰りも学級委員の仕事があり、結局陽太とは顔を合わせる暇がなかった。

「いや、何もないよ。逆に何もなさ過ぎて・・・・・・、昨日さ・・・・・・」

 陽太は昨日冬真と別れた後の事を話し出した。




「ねー春野君、このイカ焼き美味しいねー」

「ああ・・・・・・そうだな」

「おーい、陽太ーー、あっちでスーパーボールすくいやってるぞ、行ってみようぜ」

「ああ・・・・・・そうだな」

「陽太くーん、綿あめ買ったからあげるー」

「ああ・・・・・・そうだな」

 陽太は抜け殻みたいになって全て同じフレーズで受け答えをしていた。
 冬真と別れてすぐ、陽太はクラスの男子生徒や女子生徒、他クラスの生徒やたまに助っ人をする運動部の先輩等、気が付けば十数人に包囲されていた。
 あちらこちらへと引っ張りだこの陽太はすっかり疲弊していた。
 ほのかと言えば集団の端の方で里穂と一緒に楽しそうに話している様だった。
 そして、その後当番でクラスに戻る時間になり、一日目の文化祭はそのまま終了した。



「という感じでさ・・・・・・」

 そう言うと陽太は深い溜息をついた。

「なるほどな、人気者の宿命の様だな」

「何でだよ! 何でツアー旅行並に人が増えるんだよ! 冬真、お前だって人気者な筈だろう!?」

「お前はあしらい方が下手過ぎる」

 冬真も人を寄せ付ける方だが、来る者拒まずの陽太と違っていつも上手い事を言ってかわしていた。

「そりゃ俺は冬真みたいに冷たく出来ないよ」

「それでも一緒に文化祭を回るという目標は達成したんだろ、良かったじゃないか」

「・・・・・・」

 陽太はイチゴのショートケーキを食べる時、イチゴが既に無くなっていた時の様な物足りなそうな顔をしていた。

「そうだけど・・・・・・全然話とか出来なかった」

「聞くまでもないが、月島さんとって事か?」

 長い沈黙の後、陽太は小さく「うん」と答えた。

「あれだけ一緒にすごろくゲームをやったというのに、随分と欲張りになったもんだな」

「うっ、俺はただ! 文化祭でもっと親睦を深めようと思っただけで! 友達として!」

 陽太は頬を赤らめながら拳に力を入れ力説した。

「素直に二人きりになりたかったと言えばどうだ?」

「二人きり・・・・・・、はあ・・・・・・・・・・・・、何で皆とじゃダメなんだろう。俺、マジで欲張りなのかな・・・・・・」

 答えの出ない思考と感情に陽太は頭を抱えながら言った。

「どう考えても欲張りだろ。まだ二日目だしその内機会もあるんじゃないか?」

「それがさー、見てよこれ!」

 そう言いながら陽太は冬真に一枚の紙を突き出した。
 そこにはクラスや部活の当番のスケジュールが書かれていた。

「ほう・・・・・・」

 冬真は陽太とほのかのスケジュールに注目した。

「見事なまでにすれ違ってるな」

「だろ?」

 陽太が自由な時間にはほのかが当番だったり、ほのかの自由時間には陽太が当番の時間になってしまっていた。

「・・・・・・ま、残りの三日目があるだろ」

「そーなんだけどなー、はあ、一日が長い・・・・・・」

「ほら、まだその一日もまだ始まってないぞ、仕事をしろ」

「へいへい」

 陽太は一日千秋の思いで返事をすると開店準備をするべく立ち上がった。




 午後になり、ほのかは冬真と一緒に買い集めた食べ物を両手に保健室に向かった。
 文化祭前、仕事で行事を楽しむ事が出来ない時雨の為に差し入れを持って行くとほのかは約束していた。
 聞いた話によると、文化祭中は調理でやれ指を切ったとか、やれ火傷をしたとかで利用者が増え、時雨はなかなか保健室を離れられないとの事だった。

「悪いがクラスの連中から人手が足りないと応援要請があった。あいつと二人にさせるのは少し、いや、かなり不安だが、くれぐれも、くれぐれも気を付けてくれ、何かあればすぐに連絡を・・・・・・」

【分かった】

 ほのかは冬真が必死な顔で何をそんなに心配しているのか良く分からなかったが、とりあえずそう返事をした。

「クラスが落ち着いたら迎えに来る」

 そう言って冬真は自分の教室へ向かった。
 ほのかは軽く扉をノックすると保健室の中へ入った。
 保健室の奥の席、そこにはいつも通り白衣姿の時雨が居た。
 扉が開く音に気が付いた時雨はゆっくりと振り返り、ほのかの姿を見るやいなや柔らかい笑みをこぼした。

「やあ、可愛い狐さん、来てくれたんだね。いらっしゃい」




「実にいい眺めだね」

 ほのかは今、自分が何故こんな状況になってしまったのか理解が追いつけずにいた。
 そこは保健室、カーテンで周りから視界を遮られたベッドの上。
 これなら例え他の生徒が保健室に入って来たとしても中を覗こうとする者は居ない。

「ほら、手、止まってるよ? さあ、早く・・・・・・」

 時雨の切れ長の目がほのかを捉えて離さない。

【恥ずかしいよ】

 ほのかは抵抗しようとして立ち上がろうとするも、ガッチリと時雨に腰をホールドされていた。

「ふふ、逃げられないよ?」

 冬真が気を付けろと言っていたのはこういう事だったのだろうかとほのかは今更ながら思った。
 そう、全ては今更だった。
 保健室に入った瞬間から、自ら蜘蛛の巣に足を踏み入れたのと同じ、罠にかかって逃れられない。
 だったらと、時雨の要求を満たすのが早道だとほのかは思った。
 それすなわち、『差し入れをあーんで食べさせて』というものだった。
 ほのかは観念してみたらし団子を手に取ると目を瞑って時雨の口をめがけて勢い良く突き出した。

「うわっ」

 ベッドの上で超至近距離で隣に座っていた時雨は、凶器の様に素早く繰り出される団子をすんでのところでかわした。

「うーん、目を瞑りながらは危険だと思うよ。あと、もう少しゆっくりにして欲しいかな」

【ごめんなさい】

 ほのかは時雨の頬にみたらし団子のタレが付いてしまっているのを見つけた。

【頬にタレがついちゃった】

「んん? 上手く避けたつもりだったのになぁ。どこだろ?」

 ほのかはティッシュが無いか探したが、近くには無く、ハンカチが入った巾着袋も教室に置いてきてしまっていた。
 時雨は汚れを拭い取ろうと腕を上げたが、ほのかは咄嗟にその腕を掴み止めた。
 時雨のその真っ白な白衣を汚すわけにはいかない。

「ほのかちゃん?」

 こうなったのは自分の責任だと思ったほのかは時雨にゆっくりと顔を近付け、頬をそっと舐めた。
 たが、すぐにその行為を後悔した。
 それが死ぬ程恥ずかしい行為だと自覚したのは時雨が目を白黒させ、頬を手で押さえながら柄にもなく顔を真っ赤にさせていたのを見てからだった。

「参ったな・・・・・・、ほのかちゃんがそんなに大胆だったとはね」

 ほのかは恥ずかしげに瞳を逸らす時雨の顔につられて自分の顔まで熱くなってきたのを感じた。

【もう時間だから、もう行くね!!】

 その場にいたたまれなくなったほのかは、時雨のホールドが解けている間に立ち上がると保健室を飛び出した。

「あっ、ほのかちゃん! ・・・・・・・・・・・・あーあ、逃げられちゃったか。でも・・・・・・」

 時雨はまだ頬に残るその感触にまた頬が緩んだ。

「収穫はあったから良しとしようかな」
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