きみこえ
Precious Time



『おかえりなさいませ、お嬢様』

 ほのかは夏輝と翠のクラスに行くと、早くも絶句していた。
 そこは、正統派のメイド&執事喫茶であり、クラスに入るなり全員がかしこまった仕草で礼をして一斉にほのかを迎えた。
 衣装も内装もかなり凝っていて、まるでこの教室だけ英国の城にでも来てしまったかの様だった。

「さ、月島さん、こちらの席にどうぞ」

 翠は本物の執事みたいに手馴れた様子でテーブルの椅子を引いた。
 椅子に腰掛けると夏輝がメニュー表を差し出した。

「ほれ、好きなもん頼め」

「夏輝、またそんな喋り方してると・・・・・・」

 その時、ほのかは夏輝の真後ろから何かが飛んで来るのが見えた。

「!」

 夏輝はその気配に気が付いたが、反応が一瞬遅れた。

「ぐあっ」

 それは燕尾服を着た四十代の男が放った会心の一撃であり、夏輝は避け切れずに頭に当たった所をさすっていた。

「梅田さんのチョップが飛んで来ますよ?」

「言うのがおせーよ!」

「夏輝なら避けられるかと思って」

「くっ、こいつ殺気を隠すのが上手いから反応が遅くなっちまう」

「梅田さんは武術なら一通り極めてますからねぇ」

 ほのかは状況が良く分からず、ポカンとした表情を浮かべていると翠はほのかに梅田を紹介した。

「月島さん、彼は露木家の使用人、梅田さんです。今回の文化祭では衣装や接客マナーやお茶にお菓子と全面的に協力してもらったんですよ」

【なるほど】

 梅田と夏輝を見ると二人はまだ争っていた。
 ほのかは少年漫画みたいに、夏輝の背には雄々しく猛る虎が、梅田の背には雷轟放つ龍が見えた気がした。

「天草様、あなたには特別に三十六時間もみっちり礼儀作法をお教えしたというのに、まだまだ教え足りないようですね」

「ちっ、グチグチと細けー事言いやがって」

「執事たるもの舌打ちなど言語道断!」

 梅田は夏輝に向かって再び手を刀の様に素早く振り下ろした。
 だが、夏輝はそれをすんでのところで両手で受け止めた。
 所謂、真剣白刃取りだ。

「ふん、そう何度も食らってたまるかよ!」

 夏輝は挑発的な目つきで、楽しそうに笑って言った。
 梅田は夏輝に攻撃が受け止められた事、そしてその表情も態度も全てが不愉快だった。

「・・・・・・ちっ」

「おい、こいつ今舌打ちしたぞ! いいのかよ!」

「二人共、お客様に怯えられてしまいますから、もうその辺にして下さいね」

 翠が呆れ果てた顔でそう言うと梅田はすぐに夏輝から離れ、翠に(うやうや)しく礼をした。

「申し訳ございません」

 そんなやりとりがされる中、ほのかは黙々とメニュー表を読んでいた。
 木いちごジャムのパンケーキに、ショコラ&マカロン、バタークッキー・・・・・・どれもオシャレで美味しそうなメニューばかりだった。

「月島さん、メニューは決まりましたか?」

 翠に肩を叩かれそう聞かれたほのかはまだ迷っていた。

【どれも美味しそうで悩む】

「じゃあ、スペシャルコースがお勧めですよ」

 スペシャルコースと言われてメニューを見るも、そこには内容が書かれておらず、金額だけ三千円と書かれていた。
 他のメニューが三百円から五百円の設定からすれば、これだけ異様に高かった。
 ほのかはそのあまりの高さに他のにしようとしたが、翠は風の如く身を翻すと、そのスペシャルメニューを持ってテーブルに戻ってきた。
 それは皿の上にふんわりとしたパンケーキを土台に、色とりどりのマカロンがタワーの様に積み上げられ、ハートや星の形のクッキーとチョコレートでその周りをバランス良く飾った代物だった。
 ほのかはその皿の豪華さに目を丸くさせながら狼狽えていると翠は察した様に言った。

「ああ、料金ならそこの夏輝が出しますから気にしなくて良いですよ」

「ああ!? おまえ何勝手な事を言って・・・・・・」

「うわー、凄いなー、後輩にこんなに奢るなんて流石は夏輝ですね。惚れちゃうかもしれませんねー」

 翠がほぼ棒読みで夏輝を(おだて)てると、ほのかはキラキラとした目で夏輝を見た。

「うっ、あ、あったりまえだろー、俺は元々奢るつもりだったんだからな、ほれ、遠慮せず食え」

【ありがとうございます】

 ほのかがどれから食べようか考えていると翠はテキパキと紅茶をカップに注いでいた。

「さあ、お嬢様、本日はスイーツにお勧めのアールグレイをお淹れしました」

 カップからは温かい湯気とともにアールグレイ特有の爽やかな香りが立ち上り、ゆっくりと口に含ませるとその香りが口全体に広がり、ほっとする味がした。

「ほら、さっさと菓子も食え、このクッキーなんか・・・・・・」

「夏輝」

 夏輝が手掴みでクッキーをほのかに差し出そうとすると、翠が夏輝の前に立ち、ニコリと笑った。

「ダメですよ、夏輝、執事としてサーブするなら()()()()やらないと」

「げえっ、何だよ今更! 別にこいつにはいいだろう?」

「折角あれだけ練習したのですから、月島さんも夏輝はやれば出来るって所、見てみたいですよね?」

 いきなり話を振られ何の事だか良く分からなかったが、ほのかは取り敢えず頷いておいた。

「ぐっ・・・・・・」

 ほのかは何が起こるのだろうと期待を込めた瞳で夏輝を見ると、夏輝は頭を掻き、「あー」、とか「うー」とか唸りながら葛藤していたが、最後には溜息を一つすると観念した様にほのかの前に立った。

「分かったよ。お前らぜってー笑うなよ・・・・・・」

 夏輝はトングでハートの形のクッキーを一つ選んで小皿に載せてほのかの前に差し出し、(かぢず)くポーズをした。
 その所作はまさに本当の執事みたいだった。

「お嬢様、こちらは私自らがあなたの事を想いながら心を込めて作りました。どうぞ、お召し上がり下さい」

 夏輝のいつになく真剣で、別人の様な優しい笑顔にほのかは驚き、そして聞いた事もない甘いセリフに顔が見る見るうちに赤くなっていった。
 そして、その様子に夏輝もつられて顔を赤くさせ、皿を押し付ける様にほのかに渡すと「だーー、こんな恥ずい事やってられっかーー」と叫びながら教室を出ていった。

「やれやれ、また逃げ出しましたか」

 夏輝は接客に恥ずかしくなる度に教室を飛び出していた。
 それを連れ戻すのは翠の役目になっていた。

「あ、でもそのクッキー、夏輝が作るのを手伝っていたのは本当ですよ。お口に合うと良いのですが」

 そう言われて、ほのかはそのクッキーを大事そうに口へ運び、ゆっくりと味わった。
 そのクッキーは今までで一番甘くて美味しい気がした。
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