かりそめ婚ですが、一夜を共にしたら旦那様の愛妻欲が止まりません
「――それから事務所で恭子さんがあのピンバッジが高値で売れるっていう話をしているのをたまたま廊下で聞いちゃって……つい、魔が射したというか」

そういえば、以前恭子さんがそんなことを言っていたのを思い出す。

あのとき、廊下でその話を聞いてた人がほかにもいたなんて……。

「けど、ピンバッジがなくなって花澤さんがあんなに落ち込むなんて思わなかったんです。それで、レプリカを作って渡せば……もしかしたら、俺に振り向いてくれるんじゃないかって思いついて……あはは、俺、最低ですね。花澤さんには申し訳ないことをしました。すみません」

確かに最低だ。許されることじゃないし、謝ったってこの事実を帳消しにすることはできない。けれど、彼はひとりでストレスや悩みを抱え込んでいたのだ。けれど、私には仕事で悩んでいても長嶺さんという親身になって話を聞いてくれる人がいる。

肩を落として項垂れる猪瀬君を見ていると、きっと限界だったのだと思う。そんな心の隙間に悪魔が囁いて靡いてしまっただけ。

そっか、猪瀬君は……ずっとひとりだったんだね。

「このことは店長である佐伯にすべて報告する。君のことは彼女に一任しよう」

すると、焦りの滲んだ顔で猪瀬君がパッと視線をあげ、長嶺さんに縋るような目を向けた。

「お、俺……また明日から店で頑張ります。だから、このこと……店長に言うのは――」

「だったら警察に行くか? おい、世の中を舐めるなよ? 君のしたことは立派な犯罪だ。これでも一発殴りたくて抑えてるんだぞ」

ぐっと握られる拳に長嶺さんの我慢の限界を悟った私は、猪瀬君の前に一歩出た。
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