かりそめ婚ですが、一夜を共にしたら旦那様の愛妻欲が止まりません
店内に流れるBGMの邪魔をしない静かな声で話しかけてきたのは、すらっとした長身にグレーのスーツを着た見知らぬ男性。色白で品のいい顔立ちをしている。

淡白にならない程度の愛想笑いを浮かべ、「ええ」と答えると、男性は「よかった」と微笑んだ。
ほかにも席は空いている。それなのにわざわざ私の隣に座るなんてナンパ以外に考えられない。

「僕は石野裕と言います。もしかして、同業かなって」

「え?」

「そのピンバッジ、僕、目がいいんですよ。向こうに座っていても光ってるのがよく見えた」

石野さんは私の胸のピンバッジをさっと指さす。

これを落として以来、もう身に着けるのはやめようと思っていたけれど、長嶺さんが『それは君の誇りを知らしめるものだろ? 今度は落とさないようにすればいいだけだ。ちゃんとつけた方がいい』と言ってくれた。やっぱり身に着けていると気分が違う。

「あ……」

無意識に彼の胸を見て目を瞠った。そこには、国際カスタマーアドバイザーコンテストの最高峰の賞と言われる最優秀賞の証が黄金色に輝いていた。私のビオラのデザインとは違い、ローマ神話における「信義」の女神、フィデースという女性の姿を模っている。

「初めて間近で見ました……すごい」
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