かりそめ婚ですが、一夜を共にしたら旦那様の愛妻欲が止まりません
店が深刻な状況なのはわかっている。けれど、その雰囲気に呑まれてプレッシャーを感じていては店のスタッフにも不安を与えかねない。

みんな私に期待してくれてる、それにちゃんと応えなきゃ……。

「ええ、喜んでご案内いたします」

館川さんは嫌な顔ひとつせず、事細かに施設のことや店のことなどを親切に教えてくれた。
店には四人のパティシエとアシスタントに七人の販売スタッフがいる。生前、主に父が生菓子を、そして“佐伯恭子”(さえききょうこ)さんという三十二歳の女性パティシエが焼き菓子を担当していた。そして、彼女はこの店の業務運営上の全責任を父から引き継いだ店長だという。

「てっきり館川さんが店長さんかと思ってました」

「いえいえ、こういうことは老体になにかと厳しくて……私に店長は務まりませんよ。あ、あそこにいるのが佐伯さんですよ」

謙遜している館川さんの視線を追うと、厨房に白くて長いコック帽をかぶり、キリッとした顔つきの女性がスタッフと何やら会話をしていた。くっきりとした目鼻立ちをしていて、ひと目で美人だということがわかる。また笑顔も素敵で、同性相手になぜかドキリとしてしまった。

「佐伯さんとは今後お仕事で接触する機会も多いでしょうから、どうかひとつよろしくお願いします。彼女はものすごく熱心で明るくて評判もいいんですが、多少気の強いところがあるので、初めはとっつきにくいと感じるかもしれませんが……」

「いえ、こちらこそよろしくお願いします。後で直接ご挨拶させていただきますね」

パリでは大抵男性ばかりのオフィスで仕事をしていた。もちろん女性もいたけれど、みんな気の強い人ばかりだった。私も右も左もわからない異国の地でひとりでやっていくには、他人に流されない強さが必要だと常に自分に言い聞かせていたし、多少のことではへこたれない自信があった。
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