【女の事件】黒煙のレクイエム
第15話
東日本大震災による巨大津波で学校とすむ家を焼かれた上に、実父と義母を亡くしてひとりぼっちになったアタシは、気仙沼を出た後、路頭に迷い続けていた。

1ヶ月後の4月11日に岡山県まで逃げてきたが、宇野港の待ち合い室でボロボロになって倒れているところを交番の警官に発見された後、玉野市内の警察署の生活安全課に保護された。

実父の親族は、福島県の浜通り地方の小さな町で暮らしていたが東日本大震災による巨大津波で町が壊滅的な被害を被った上に原発事故で立ち入り禁止区域に設定されたので行方不明のままになっていた。

塩竈市で暮らしているおじ夫婦の家も、巨大津波で家を流された上におじ夫婦も亡くなっていたので、義母カタの家に迎えに来ていただくより他はなかった。

アタシは、高松市円座町で暮らしている義母の兄夫婦に迎えに来ていただいた後、義母カタの実家に一時的に滞在をしていた。

アタシは、中学3年生の単位を一度リセットをして義務教育終了認定試験を受けた。

とりあえずは、認定試験に合格で義務教育を終えた。

大震災から4ヶ月の2011年7月中旬頃に、気仙沼の中学校に義務教育終了認定試験の合格証を提出して中学校の卒業証書を手にした。

手にした卒業証書は、紙切れ1枚のただのもらいものであった。

だから、学校を卒業をしたと言う気持ちにはなれなかった。

あいまいな気持ちで中学を卒業したアタシは、義母カタの遠い親せきからの紹介で京都へ行って舞妓はんになった。

2011年8月1日から、アタシは舞妓はんとして人生をやり直すことにした。

最初の数年間はお給金が出ないつらい暮らしだと言うことをは覚悟して、アタシは舞妓はんになった。

気仙沼の中学校の同級生たちも、巨大津波で家を流されたり親きょうだいをなくしていたり、親ごさんが勤めていた職場を離職して求職中で高校に行くどころではないコたちがたくさんいたので、アタシもそんな中で人生の再出発をしていた。

アタシは、2015年の5月頃まで京都にいて舞妓はんをしていた。

お給金が出ない中、アタシは大金持ちのお坊っちゃまと会って、多額のハナダイを受けとりながら暮らしていた。

しかし、2015年5月6日頃にお坊っちゃまとチジョウのもつれが原因で別れてしまった上にハナダイを置き屋の姐さんに内緒で私物化していたことが発覚したので、舞妓はんを続けて行くことができなくなった。

アタシが私物化していたハナダイは、高松で暮らしている義母カタの親せきのひとたちが全額弁償をした。

アタシは、バツとして川西市久代(くしろ)で暮らしている義母の兄夫婦の知り合いの夫婦の長男で伊丹市鋳物師(いもじ)にある大手食品メーカーの工場に勤務をしているごんぞうさん(34歳)と結婚をしなさいと言われたので、アタシは仕方なく結婚をすることになった。

アタシは、2015年7月初め頃にごんぞうさんと結婚をしたが入籍をしないまま結婚生活を送ることを選んだ。

そしてそこから、新たな悲劇が始まった。
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