愛溺〜偽りは闇に堕ちて〜
「こら、舌打ちしない」
「うざいんだから仕方ないでしょ」
「酷いなぁ」
傷ついているようには見えない。
それどころか、嬉しそうにニコニコ笑っていた。
「ねぇ、もうそろそろ行くよ」
「えー、まだ早い気がする」
「家が嫌なんでしょ」
瀬野を離して立ち上がる。
スカートの裾を少し整えて、鞄を手に持った。
もう準備は万端である。
「でも川上さんがいたら大丈夫みたいだ」
「私は無理だから」
「厳しいなぁ。
こんなにも惜しいと思うの、初めて」
瀬野も私に続いて立ち上がり、鞄を手に持つ。
ふと寂しげな表情をするから、少しばかり同情をしてしまいそうになる。
「あっそ。じゃあ行くよ」
惜しいだなんて私は思わないけれど。
自分を偽らずに誰かと過ごした夜は、迎えた朝は。
それほど居心地の悪いものではなかったことは認める。
「あっ、そうだ川上さん」
「まだ何か…っ」
先に家を出ようと思ったけれど、瀬野に呼び止められて。
仕方なく振り向けば、不意を突かれて唇を重ねられてしまった。
「せっかくだし、最後にね」
「……っ、最低…!」
「ほらその照れ顔、本当にたまんない。
俺だけが知ってる川上さんのかわいい素顔?」
うるさい、うざい、本当に最悪。
反応を見たいがためにキスとか本当にありえない。
「これからも定期的にその顔見たくなっちゃうかも」
「そ、その頃には慣れてるし…」
「あれ、じゃあ慣れるくらいキスしていいの?」
「ふざけるな…!」
「まあキスに慣れても、その次があるしね…?
昨日みたいな感じで」
本当に嫌い、大嫌いだ。
目の前の男をきつく睨むけれど。
「まったく怖くないよ。
かわいいとしか思えないな」
どこか嬉しそうな笑顔を崩さないまま、瀬野は私の手をそっと引いた。