君のキスが狂わせるから
「言いすぎました。愛原さんて話しやすい空気あるから、つい…」

 伏し目になった彼の表情は、そのままスナップにしてしまいたいような美しい憂いがあった。
 揺れそうな心を鎮め、私はゆっくり言葉を返した。

「私もなんでもかんでも引き受けているわけじゃないし、他の後輩に私のスタイルを見習ってほしいとも思ってないよ」
「でも、押し付けられた仕事を断ってるの、聞いたことないですよ」
「私が何を話してるのか全部知ってるっていうの?」

(あ、これは嫌味な言い方だったな)

 言ってしまってから後悔するのは、大人の女としては失格の行為だ。
 こんな拗ねた子どもみたいな発言、明らかに印象を悪くしたに違いない。

「今の言い方は大人気なかったね。ごめ…」

 言いかけた私の謝罪を遮り、深瀬くんが被せるように言った。

「謝るくらいなら口にしなきゃいいんですよ」
「そうだね。うん、気をつける」

 静かに頷くと、彼は思いがけずぷっと小さく吹き出した。

「愛原さんのそういう素直なところ、可愛いですよね」
「え…」
「あ、また怒らせちゃったかな。でも実際、相当に可愛いですよ。自覚ないみたいですけど」
「…っ」
「すみません、俺、失礼なことばっかり口にしちゃいましたね…じゃあまた」

 軽く頭を下げると、深瀬くんはそのまま廊下の向こうへと立ち去ってしまった。

(何あれ、どういう意味?ええ……可愛いって何。からかったの?)

 戸惑いはあったけれど、久しく言われていなかった「可愛い」という言葉に、年甲斐もなく胸が踊ってしまったのだった。






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