私立秀麗華美学園
厨房の入り口のところまで行くと、愛さんが前に立って声をひそめささやく。


「ここを開けると廊下に繋がってるわ。いつ人に会ってもおかしくない」

「目的の部屋までは50mぐらい、なんですよね?」

「ええ。右手に進んで突当たりを左に曲がって行ったら、お庭が見えるわ。そこが縁側になっていて、さきほど言っていた障子戸が面しているところ」

「下の戸が開くのは、手前からいくつ目に?」

「覚えていないけれど見ればわかるから、それは私が教えますね。今から進む廊下は、従業員用の狭い動線だから基本的に人はいないはずなの。先に私が見てくるわ。もし誰にも遭遇しそうになければ、そのまま予定通りに、騒いじゃうから。扉を薄く開けて待っていらして。館内は静かだから騒ぎも聞こえるはずよ」


部屋の場所に辿り着くまで人に会わずに済むというのも都合が良すぎる気がしたが、愛さんを信じることにした。うなずくと、愛さんは料理を運ぶ用らしいワゴンに布をかけ、それを押して厨房を出て行った。

俺は言われた通り、扉を薄く開けて息をひそめる。従業員用の動線と言っていただけあって廊下は薄暗く、ワゴンとすれ違うのは苦労するだろうという幅だった。

土足だったので、靴を脱いで作業台の下に隠す。耳をそばだてていても、足音や話し声は聞こえない。偶然人がいないのか、建物が広すぎるのか。

淳三郎さんたちに会うのはいつぶりだろう。兄ちゃんたちの披露宴以来か。夫妻って言ってたからにはりえさんもいるはずだ。
いてくれた方がいい気はするな……やっぱりあの人と2人きりってよりは。それも避けられないことなのかもしれないけど。
2人は驚くはずだ。とにかく話だけでも聞いてもらうには、まず何を言えばいいだろう。つまみ出されたら万事休す…………

その時、警報のような音が遠くで響いた。微かにだがどこかでふすまが乱暴に開かれるような音も聞こえる。

愛さんが動線の安全を保障してくれたらしい。厨房の扉から頭を出して、右手の廊下を確かめる。人はいない。突当たりまでは繋がっている部屋もないらしい。身体も部屋から出して、扉をそっと閉めた。


「玄関じゃない! 縁側の方だ!」


一歩行こうとした時、壁を挟んだ向こう側で人の声が聞こえて心臓が縮み上がった。幸い足音は離れて行く……と言っても向かう先は同じだ。意を決して、突当たりまでを早足で進んだ。足音を立てずに歩くのは苦手じゃない。曲がり角からそっと顔を出すと、庭が見えた。予定通り、廊下の途切れるところにはワゴンが置かれている。

あそこを右に曲がったら、右手に障子戸が並んでいるはずだ。ワゴンのところまでに障害はないが、左手に扉が3つほどあって突然誰か出てこないとも限らない。愛さんのものらしき声が聞こえた。向こうよ向こう! と、だんだん遠くなって行く気がする。
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