例えば、こんな始まり方
今日は、純一の初出勤の日だ。いつものように、純一が朝食を準備する。

「私、先に出るけど。『ブロッサム』の場所、分かるよね?」

「あたりまえだろ?あんな分かりやすい場所、忘れろ、ったって忘れられないさ」

「よかった。鍵、渡しておくね。夕食は・・・あんまり疲れているようだったら、無理しないで。私が作る」

「サンキュ。初日はきついだろうからなぁ。お願いしようかな」

「ラジャーですっ。味は・・・期待しないでね」

「今まで、自炊してたんだろ?自信もてよ」

だって・・・。

「純一くんの料理、ホントにおいしいから」

「他の人に作ってもらうゴハンは、格別だよ」

「そういうもん?」

「そういうもん、もん。さぁ、真由、急がないと遅刻するよ」

「はっ。ホントだ。行って来ます!!」

私は慌てて、家を出た。

「化粧直し、しなくていいのかよ。会社でするのかな?」

純一はつぶやいた。

そして、遠くにいる美沙に想いを馳せた。元気でいるだろうか。

気持ちは冷めてしまったとは言え、一度は愛し合って結婚した相手だ。気にならないはずはない。

そうだ、仕事が決まったら、電話するって言ったっけ。今、電話して大丈夫だろうか。

勇気を出して、スマホを取り出した。「奥さん」と表示された番号にコールする。

「もしもし?・・・純?」

懐かしい、美沙の声。ちょっと子供っぽい、僕が愛した甘い声だ。

「美沙・・・仕事が、決まったよ。吉祥寺の、カフェのキッチンだ」

「そうなんだ・・・よかったねぇっ。またカフェで働けるんだ」

「ありがとう。」


「・・・ごめんね、純に全部、借金背負わせて。あたしの責任でもあるのに」

「それは言いっこなしだよ。美沙は、僕の後ろから、ついてきてくれただけだ。・・・元気か?」

美沙は、泣き出しそうになるのを必死に抑えていた。懐かしい、純の声。少し前まで、一緒に歩んできた人の声。声が震えそうになるのを必死に抑えて

「私は、元気よ。もう少ししたら、保育士に復帰するつもり」

「保育士は、美沙の天職だもんな。よかった、元気そうで。早く、いい男、見つけろよ」

もしかして、純一はいい人を見つけたのだろうか。ふっと、そんな気がして慌てて打ち消した。まだ、1週間やそこらだ。

「もちろんよ。純より100倍も1000倍もステキな男、見つけてみせる。純もね」

「ああ。じゃあ、そろそろ行かなきゃいけないから」

「行ってらっしゃい」

「行って来ます。じゃあ」

電話を切って。「奥さん」を「田辺美沙」に変換した。気分を変えて、今日は、出社初日だ。がんばろう。
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