猫になんてなれないけれど
富士原さんに連絡しようか。

そんなことを考えたけど、今はもう運転中だろうと思うし、「物音がしてなんか怖い」なんて、あやふやな恐怖心を伝えていいのかわからない。

今日、彼女になったばかりだし、へんな甘え方をして、嫌われたくないって気持ちも強かった。


(・・・でも、怖いな。どうしよう・・・)


嫌な気配は続いてる。

勘違いならいいけれど・・・とりあえず、エレベーターに乗る前に、今日もスマホの電源を入れておこう。そうだ、萌花にでも電話して・・・。


(って、あれ!?)


カバンの中を探るけど、スマホがどこにも見当たらなかった。

嘘でしょ、と焦りが募る。なんで?まさか、お店に忘れてきてしまった・・・?

「・・・真木野さん」

「!」

暗闇から声がした。か細いけれど、男性の声。

この状況で自分の名前が呼ばれたことに、私は、心臓が凍えるような気持ちになった。

恐る恐る、声が聞こえた方向に目を向ける。

管理人室の脇のあたりから、細長い男性の影が現れた。

一歩、二歩、と、こちらに近づいてくるにつれ、男性に照明が当たり、その表情を確認できた。


(・・・あれ・・・?)


見覚えがあった。どこかで見たことがある。

患者さん?

20代半ばから、30代前半くらいの男性だ。


(でも、これは・・・ちょっとやばい感じかも・・・)


どこか、思い詰めているような表情だった。

逃げだしたいと思うのに、恐怖で足が動かない。どうしよう。スマホもない。住人の誰かが通りかかる気配もないし・・・。

「真木野さん、あなたは本当に、あの人と付き合ってるんですか」

男性が、私に向かって小さな声でそう言った。

「あの人」って・・・冨士原さんのことを言っている・・・?

「だ、誰ですか、あなたは」

怖いながらも問いかけた。するとその男性は、驚いたような顔をした。

「・・・覚えてないんですか」

「えっ・・・」

「・・・ひどい・・・」

男性は、明らかにショックを受けていた。

恐怖の中で、私は、必死になって記憶を辿る。けれどこの状況で、上手に記憶は思い出せない。

「す、すみません・・・。あの、お名前を・・・」

「名前?本当に・・・あなたは、本当に忘れてるんですね・・・」

男性は、「ひどい、ひどい・・・」と、うつむきながらブツブツと、ひとり言のように呟いた。

そして、突然顔を上に向け、「ひどいですよ!!」と、泣きそうな顔で私を睨んだ。

「僕は・・・僕は・・・あんなに一生懸命話をしたのに・・・!」

「・・・っ!?」
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