那須大八郎~椎葉の『鶴富姫伝説』~
 那須大八郎が水流の一行に加わったのは椎葉の 消息(じょうほう)を政子に報告したのがきっかけだった。
 九州の山奥に可愛がられている美しい娘がいるのである。それがもしも〈もののけ〉であるのならば、それなりの術者を一行に加えねばならない。
 水流が政子にこの事を頼むとしばらくして会わせたい者達がいるとの返事があった。水流が北条邸を訪れると、大八郎なる青年とという青年と美砂(みさご)と言う女を紹介された。
 聞けば大八郎は那須資隆の十八男であり、与一の弟であると言う。
「 水流、大八郎は与一の弟ではあるが弓の腕前より剣術や組み討ちの方が得意であるぞ。試してみるか。」
 政子が笑いながら水流に問い掛けた。
「 滅相もない。私ごとき年寄りが筋骨隆々のこのような青年に勝てるはずもございません。」
 水流は大八郎を見ながら答えた。
「 そのうち機会があれば、是非お手合わせを願いたい。」
 大八郎は笑いながらそう言った。
 次に政子は大八郎の隣に正座している美砂について話した。
 大八郎の母親は大八郎が生まれて間もなく他界した。大八郎は風間谷の人々に預けられ、この美砂が母親代わりを務めたとのだと政子は言った。
 そして何より美砂はあの源九郎義経から天狗の技を教わり、大八郎にも伝授しているらしい。
「ほう、それは頼もしい。安心して野宿もできるというものだ。」
 水流はそう言いながら、京で聞いた話を思い出した。天狗の技とは奈良時代に遣唐使吉備真備(きびのまきび)が飛賊の技を学び持ち帰ったのだと聞いた。この技をさすがに帝の前では賊の技と言えず、皇帝を護る礼法として広めたと言う。礼法はいつしか民に伝わり、坊主や山伏たちが修行して天狗の技 になったのだと。
 そして水流はこの技を目の当たりにすることになる。
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