妖しな嫁入り
 臨時で雇われている妖だろうか、女の先導で廊下を進む。途中、誰ともすれ違うことはなかった。今頃はそれぞれ忙しくしているのだろう。何もおかしいことはない。
 それなのに――まるで闇の中を進んでいるみたい。本当に、この先で朧が待っている? 永遠に戻れなくなるような不安が湧きあがるのは何故?

「本当に朧がいるの?」

 疑問が口にすれば、女は申し訳なさそうに「もう少しです」と言った。
 やがて「こちらでございます」と促されるまま部屋の中へ、敷居を越える。

「……朧?」

 部屋は暗かった。けれど薄闇の中に誰か――朧が佇んでいる。

「待っていたよ」

 どう見ても朧なのに、声だって同じ。それなのに違和感が消えてくれない。何より、屋敷の中で朧が刀を携えているなんて珍しいことだ。

「本当に、朧?」

 左手に持ったままの刀。慎重に右手を動かし、それを抜こうとした。いつものように朧に攻撃をしかけよう、そう考えていた。

「え――」

 幽かな風が肌に触れる。正確には風にも満たない空気の振動と言うべきか、背後で何かが動く気配を感じた。そこに交じるのは紛れもなく、私が何度も経験してきた物――殺気だ。

 動け!

 染みついた感覚から、条件反射のように体を捻る。鋭く伸びた振り下ろされる様子を視界の隅で捉えた。もし動いていなければ今頃……
 私を襲ったのは背後にいた女の妖。大きく裂けた口に獰猛な牙、人とは似ても似つかない獰猛な妖の本性をさらけ出していた。

「どうして……」

 体勢を崩した私は膝をつき妖を見上げる。茫然としている間にも、爪が霞めた肩からは血が滲み着物を赤く染めていく。それは久しく感じていなかった痛み。致命傷ではないが、そう浅くもらいらしい。けれどとっさのことに肩を霞める程度で済んだのは経験の賜物か。

「お前……」

 こんなことは初めてじゃない。妖が目の前にいて獲物を狙っている。怖ろしい形相の妖が目の前にいようが、臆するような私ではない。

 今すぐ刀を抜けばいい。
 そうしなければ危険だと、何度も妖と遭遇したカンが告げている。
 でも、抜けない。
 だってここは朧の屋敷だから、私は誓った。

 躊躇う私を前にしても女は容赦なく爪を振るが、それは力を誇示するような大ぶりで単調な動き。たとえ抜かなくても、落ち着いて動きを見れば避けることは造作もない。
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