二度目の結婚は、溺愛から始まる
「…………」
「俺は、そこにいるアホな男みたいに、覚悟を決めて結婚しておきながら、あっさり独身に戻る気はねーんだよ。十年、二十年……ずっと続けられないなら、結婚する気はねぇ」
梛にアホ呼ばわりされた蓮は、こめかみを引きつらせながらも、鉄の自制心で沈黙を守っている。
これが柾なら、場の雰囲気など無視して、梛を締め上げているにちがいない。
「……わたしとは、結婚できないってことね」
梛の条件を聞いた彼女は項垂れ、小さな声で呟いた。
「は? んなこと言ってねーだろうがっ!」
「だって、わたしはそんなに先まで生きられないわ」
「勝手に決めんな。大体、おまえはそれでいいのかよ? ロクに夫婦として過ごすことなく、紙の上で『結婚』さえできれば満足なのかよ? だったら、俺じゃなくても、誰でもいいだろっ!?」
わたしは、梛を揺さぶりたくなる気持ちを必死に堪え、心の中で叫んだ。
(バカなの? ねえ、バカなのっ!? 梛っ!)
さすがの「お嬢さま」も、そこまで言われて上品に微笑んではいられなかった。
顔を歪め、いまにも泣き出しそうな顔で、反論する。
「何よ……どうして、意地悪なことばかり言うの? 誰でもいいなら……わざわざ離婚なんかしなかったわっ! 最期だから……思い残したくないから、好きな人と結婚したいと思ったんじゃないのっ!」
彼女が梛と結婚したい理由が、「遺産を相続させるため」だけではないと知ってほっとしたのも束の間、梛が辛辣な言葉を吐き捨てる。
「おまえのキレイな思い出作りのためだけに、結婚するなんて冗談じゃねぇっ!」
(なーぎーっ!)
「ひ、酷い……わ、わたし……そんなつもりじゃ……」
「おまえを看取るために結婚するなんて、ごめんなんだよっ! 普通は、一緒に生きていくために結婚するんだろううがっ!? わざわざちがう理由を持ち出す必要なんか、ねぇだろ。どうしてお嬢さまってやつは、突拍子もない真似をしたがるんだ? 普通でいいだろうが、普通でっ!」
「…………」
強張っていた彼女の頬が、瞬時に緩んだ。
大きな瞳からこぼれ落ちたのは、悲しみの涙ではない。
わたしは、胸を撫で下ろしつつも、わかりにくいプロポーズにイラっとしてしまった。
(普通じゃないのは、梛でしょうがっ! もっと素直にプロポーズしなさいよ! そんなんじゃ、蓮のことアホ呼ばわりできないわよ!)
蓮は、自分がわたしにした意地悪なプロポーズのことは棚に上げ、「なってない」と言いたげに首を振っている。
「で、長生きする気はあんのかよ?」
仏頂面で問う梛に、彼女は力強く頷く。
「……が、がんばるわ」
「嘘じゃねぇだろうな?」
「梛が傍にいてくれるなら、がんばれるわ。幸せだと、免疫力が上がるんですって」
泣き笑いの彼女に梛が毒づく。
「他力本願かよ?」
「ちがうわ。梛は、何もしなくていいの。わたしが、勝手に幸せだと思うだけなんだから」
「は? 自分だけ幸せになる気かよ?」
「そ、そういうわけじゃないけれど……でも、梛は……」
「結婚するのに、何もさせない気か?」
「……な、何もって……何をする気?」
「詳しく訊きたいのか? お嬢さまのくせにエロいな」
にやりと笑った梛の感想に、花梨が顔を赤らめる。
「もうっ! からかうのは、やめてっ!」
真っ赤になった顔を両手で覆う彼女は、わたしより年上のはずで、結婚生活も長かったはずなのに、とても初々しい。
(これでもう……大丈夫ね)
紆余曲折の末、ようやく結ばれた二人にほっとして、蓮と顔を見合わせる。
梛と結婚したからといって、彼女の病が消えてなくなるわけではないけれど、幸せな時間が長く続くことを祈りたい。
「一件落着したようだし……帰るぞ。椿」
「うん。梛、西園寺さん、わたしたち帰……」
「……あのっ! ちょっと待ってください! お二人にお願いがっ……」
二人そろって立ち上がろうとしたら、レースのハンカチで涙を拭っていた花梨に、またしても引き止められた。
「お願い……?」
「婚姻届の証人欄に署名をお願いしたいんです。梛、いますぐ書いて!」
「は? 別にこいつらじゃなくてもいいだろ」
「ダメ! わたしたちの始まりをちゃんと見届けてくれた人が、一番証人として相応しいでしょう? それに……」
梛の手にボールペンを押し付けた彼女は、わたしと蓮を交互に見遣り、柔らかな笑みを浮かべた。
「お二人のような夫婦になりたいんです。一緒にいるのがとても自然で、そんな風になりたいんです」
「え?」
「いや、しかし……」
わたしたちは、元夫婦だ。
彼らが目指すべき夫婦像からは、かけ離れている。
戸惑うわたしたちもおかまいなしに、花梨は梛がサインを終えた婚姻届を差し出した。
「わたしは、一度結んだ縁は簡単には切れないものだと思います。お互いの気持ちに寄り添い続けていられる限り……『夫婦』なんだと思います」