俺と、甘いキスを。

「花ちゃんが既婚者である蒼士の面倒を見ている。それが心配だという兄の気持ちは、僕にも蒼士の他に妹がいるのでわかります」
兄貴は「なるほど」と、彼の心情を汲むように頷いて続ける。
「もし僕があなたの立場でも、同じように蒼士に掴みかかっていたかもしれません。でも言葉より先に力で制しようとするのは、得策ではないと思っています。自分も常々心がけていることですが」
「いや、確かにそうだと俺も思う。しかし花には、妹には人の道に外れたことをしてほしくないんだ」

全てはお前が悪い、とでも言いそうな暁さんは、俺をギロッとひと睨みする。
つい昨日、「不倫」という覚悟を決めたばかりなのに、早速「花の兄」という壁に向き合うことになるとは。彼女のことを思えば、俺の気持ちを一から十まで語り尽くして、これから何をするつもりかを説明するくらい造作もないことだ。そうなると、花にも話していないことを彼に話して聞かせることになる。

──警察官だからな。隅々まで話さないと、俺たちのことは理解してくれないだろう。

それで花の、あの桜の蕾が静かに咲くような微笑みがそばで見れるのなら。

気持ちを決めて、「俺は」と口を出そうとしたときだ。
部屋の障子が開いた。

「自分のことを棚に上げて何を言っているの?先に人の道を外れたことを言ったのは、そっちでしょ」

俺たちの前で、花は怒りを含んだ低い声を放って兄の暁さんを鋭く睨んだ。
「花」
暁さんは花を見上げる。
花は彼が呼んだにも関わらず、部屋に入ると俺の横に腰を下ろした。
「体は、大丈夫か」
俺は座卓の角で打撲したという肩に視線を落とす。
花は目尻を下げて苦笑した。
「少し腫れてアザができたの。母に湿布を貼ってもらったわ」
「無理するなよ」
一層特別な存在になった彼女を心配すると、大きな瞳で「大丈夫」と俺に口角を上げた。
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