俺と、甘いキスを。

太陽が傾き、やがて外が暗くなる。
就業時刻三分前になり、私は無事帰宅できることに胸を撫で下ろす。午後にも二度ほど右京研究室から内線があった。私が電話中だったこともあり、代わりにちなみのデスクの内線が鳴り、私の居所の確認をされていたらしい。

「花さん、右京さんに恨まれるようなことしたんですか」
「そ、そんなこと、するわけないでしょっ」

と、言ってみたものの、右京蒼士に対しての発言を思い返してみる。
彼に対して間違ったことを言ったり、逃げている以外の間違った行動はしていない。

本人が聞いていない、あの告白を除いては。


明日の業務の確認をして、終業時刻のチャイムを待っていると、

「川畑さん。折り返しの連絡を待っていたのに」

と、背後から悪魔の声が聞こえてきた。

瞬間に背中がゾクリと震えて冷たいものが流れ落ちる感覚がした。

──どうしよう、どうしよう。

とうとう捕まった、と動揺して視点が定まらない。
向かいのちなみは「自業自得です」とばかりにお手上げポーズをして、首を軽く横に振る。終業時刻のチャイムが鳴り、ちなみは「お先です」と帰っていった。

──そうだ。「用件は明日聞きます」と言って帰ってしまおう。
「これで今日は逃げられる」とばかりに、私は精一杯の笑顔で振り向いた。

「お疲れ様です。今日はもう終業時刻を過ぎましたので…」
と話し出すと、悪魔の声の持ち主である右京蒼士が、私の肩をがっしりと押さえて「事務長」と、離れたデスクで書類を見ている男性を呼んだ。
五十代後半の事務長は顔を上げて、
「右京くんじゃないか。どうかしたのかね」
と、こちらを見ている。
同時に周囲の帰ろうとしている社員も、動きを止めて私たちを見ている。
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