デアウベクシテ
第14話~ブレーキ
 賢人のマンション。躊躇うということさえ頭になかった私は、賢人の部屋に入った。

「彩華は座ってて。」

 私はソファに座る。ドサッと。体も頭も重い。どうにかならないの。

「彩華、ベッドで休んでもいいよ。」
「賢人。」
「何か飲む?水かコーヒーか…。」
「賢人!」

 賢人に叫ぶ自分の声で、私は目が覚める。私の頭は再起動。バグが修正された。

 賢人と出会って気付けば2年近く。ずっと私の胸に引っ掛かっていたもの。ずっと消えず、でもそのままにしてあったもの。それもはっきりした。

 賢人は私に近寄り、私の目の前。床に座り、私の手を握った。こんな時でも賢人は穏やかな顔。私はどんな顔をしているだろう。情けない?咎める?その穏やかな賢人は言った。

「彩華のことだから、今すぐ話をしたいんだろ?」

(…どうしてわかるの…。)

「そうだろ?」

 私はため息をついた。

「うん…。」

 ため息なんて、賢人と出会った日以来かもしれない。私こそ、賢人の何を見てきて、何を知ってるの。私は何てバカで、何て情けないの。醜い女。

「彩華の『悲しい』は、それだね?」
「え?」
「今までずっと彩華と一緒にいて、震える彩華は初めて見た。彩華を悲しませているものは、その震えだね?」
「…賢人は、何でもわかるのね…。」
「ずっと見てきたから、彩華のこと。」

(話すのよ私。引っ掛かるものを、話すの。)

「賢人…。」
「なに?」

 こんな話、誰かに話す時が来るなんて。初めて誰かに話す。頑張れ私。

「…私…、何年か前に好きになった人…。」

(頑張るの、私。)

「出会ってから付き合うまで、時間はかからなかった。それまでの自分が嘘みたいに、その人のことをすごく好きになったの。『その人がいれば何もいらない』なんて、バカげたことを本気で思ってた。」
「バカなことじゃないよ、彩華。」
「…それでね賢人…。」
「それで?」

 賢人の手は私を握っている。

「1年くらいして、私プロポーズされたの。指輪ももらった。300万円の指輪…。金額は私への想いの額だと、その時の私は思ったの。幼い無知の子供だった。」

 私は私の手を握る賢人の手を見ていた。賢人は私を見ている。賢人の視線。

(頑張って、私。頑張れる、今の私なら。)

「私、妊娠してた。」

 賢人の手が少しだけ緩むのを感じた。いいの、続けるの。

「有頂天だった。結婚、妊娠…。それから私達は実際、式に呼ぶゲストをピックアップしたり、式場を回ったりした。次会う日、妊娠のことを話そうと思った。その日、そう、忘れもしないその日。突然、『今までありがとう』って言われたの。」
「今まで?」
「そう。その人はいつもの顔で言ったの。突然、『仕事でアメリカにいた婚約者がやっと帰国する。君は恋人から婚約者まで代わりをしてくれて、君といる時間は本当に楽しかった。』って。」

 賢人が少しうつむいている。今賢人が何を思い何を考えているのか、私はやっぱりわからなかった。

「幼くてさらにバカな私は、妊娠の話をしたの。もしかしたら少しでも私のこと、何か考えてくれるんじゃないかって思って、話したの。そうしたら、お金くれた。帯付きの、一束。最後に『ありがとう』って笑顔で去っていった。」

(言えたね、私。もう少し頑張るの。)

「それから私は何も感じなくなったの。少しくらいのことじゃ何も。浮気も二股も、裏切りも。でも仕方ないと思った。」
「どうしてだよ。彩華は辛くなかったの?」
「落ち度は自分にあると思ったから。」
「彩華は何かしたの?」

 私は賢人を見る。情けない。情けなくて情けない顔。でも泣いたらだめ。

「私は『悲しそうで笑わない女』。賢人に出会ってわかったこと。そんな女、何の魅力も価値もない。」
「彩華は魅力的だ。それに人に価値なんて付けるもんじゃないだろ?」

 情けなさ過ぎて、笑えてくる。まだ吐き出すものはある。この調子よ、私。

「そこに、たまたま部長がいた…。完全に割り切った関係で、恋だの愛だの、好きだの嫌いだの、何も考えなくていい。すごく楽だった。何も考えない、全てがそこそこの、そんな生活を送ってた。そうしていたら、賢人に出会った…。」

 さっきわかった、胸に引っ掛かっていたもの。一番大事なこと、きっと一番言うべきこと。全部吐き出すまで、あと少し。震えは我慢するの。

「賢人…?」
「なに?彩華。」
「賢人といると、落ち着くの…。でも、安心はできなかった…。安心っていうモノを、感じることは…。賢人も、どこかに行ってしまうんじゃないかって、きっと心にブレーキかけてた…。だから強がって、素直になれなくて…。だからきっと、ずっと言えなかった…。」

 強がる私はもうやめよう。素直になる。これは自分の為。

「彩華?」
「賢人…。」
「なに?彩華」
「好き…。」

 よく頑張ったね、私。醜くとも。
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