デアウベクシテ
第17話~結衣
 小さな店。人が通ればすぐわかる。私の横を、結衣が通った気がした。

「結衣…。」
「どうしたの?彩華。」

 私は結衣を思う。

「私は賢人に、『優しさ』も『愛』も、色んなこと教えてもらって、色んなこと知ることができた。もう少し…、ほんの少しでよかったの。もう少し早く知っていれば、結衣が死ぬことはなかったかもしれない…。」
「ユイ?」
「賢人と出会う直前に、自殺した私の親友。」

 賢人の手が止まった。

「何でも話してたし、結衣もそうだと思ってた。でも私こんなんだから、『こんな人間に何を話してもわからないだろう』って、思われてたのかもしれない。」
「でも、一緒にいたんだろ?」

 優しいフレンチトースト。

「結衣も好きだったの、フレンチトースト。『色んなお店行きたい。彩華行こう。』って、店を巡ったりもした。もちろん、それだけじゃない。あんなに一緒にいたのに私は、結衣の何も気付けなかった。」

 賢人はナイフとフォークを置く。

「それでも最後に『ありがとう』って、残してくれたんだろ?」
「『ありがとう』だけよ?それじゃ何もわからない。」
「それしか言えなかった、それだけは伝えたかったんだよ。」
「どうしてわかるの?賢人に結衣の気持ちが…。」

 忘れていた。賢人と出会った日。賢人は駅のホームから電車に飛び込もうとしていた。

「彩華と出会って、ホテルで一晩過ごして部屋を出ようとした時、彩華を見て思ったんだ。」
「何て?」
「俺はこの人に感謝しなきゃいけないって。」
「だからあのメモを?」
「本当はもっと沢山、感謝の思いを伝えたかった。駅のホームでのこと、タクシーやビジネスホテルを探してくれたこと、ラブホテルなんかで一晩一緒にいれくれたこと、ずっと俺を心配してくれたこと。」
「じゃあ言えばよかったじゃない。あんな小さなメモじゃなくて、直接言えばよかったじゃない。」

 私は少しムキになっていた。何よ、賢人も、結衣も。

「彩華。感謝したいって思うと同時に、この人にこれ以上迷惑をかけたくない。そうとも思ったんだ。そう思ったら『ありがとう』、それしかなかったんだよ。」
「そんな…。他にも何かあったでしょ…?」
「俺は一晩だけであれだけ感謝したんだ。彩華の親友、沢山一緒に過ごした親友なら、感謝の思いもそれだけ沢山あったはずだ。伝えたいことも沢山 。でもそれをひとつひとつ数えたらキリがない。だからせめてお礼を…。」
「ありがとう、を?」
「そう。最後に、彩華にだけ。伝えたかったんだよ。」

 結衣が込み上げる。胸が熱い。

「結衣…。」
「彩華が何も気付けなかったんじゃなくて、彩華の親友は感謝を伝えたかった。俺にはそう感じるよ。」

 冷えたアイスコーヒーのグラスに人差し指を当てる。雫が涙のように落ちる。

「私は結衣に何もできなかったのに、本当に私に感謝してたの…?」
「そうじゃない、彩華。」
「じゃあどういうこと?」
「一緒にいることが一番大切、彩華の親友もきっとそう思ってた。彩華といて嬉しかった。だから彩華は何もしてなくないんだよ。」

 私はグラスを持つ。冷たい。冷静。

「また賢人が教えてくれた。」
「何を?」

 冷静なアイスコーヒーを飲むと、私は落ち着きを取り戻した。

「今度は結衣の気持ち。」
「俺は思ったことを言っただけだよ、彩華。」
「その『思ったこと』。私にはわからなかった。ずっとわからないまま生きていたと思う。」
「何か気付けたこと、彩華にあった?」
「賢人?」
「なに?彩華。」
「ありがとう。」

 私は笑う。賢人も笑った。優しい、美味しい、笑顔。それだけでこんなにも嬉しいなんて。

 賢人との初めを思い出す。

「結衣のことだけじゃない。賢人はいつも、私の私にはわからないことに気付く、見抜く。」
「彩華のことが好きだから。それだけだよ。」

『ありがとう』その意味を、私は知った。
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