デアウベクシテ
第19話~ここにしよう
 ある日の駅近く。小さなバー。マティーニとジントニック。

「ねえ賢人。結婚って、具体的に何をすればいいの?私は何をすればいい?」
「必要な書類を区役所に出せばいい。もちろん、婚姻届も。」
「それだけ?」
「それだけ。」
「そう…。」

 私はなぜかホッとした。

「それから新居を探そう。」
「新居?」
「ふたりで住む部屋だよ。」
「そんなの…賢人の部屋でいいじゃない。もう私の物も置かせてもらってるし、賢人の部屋広いし。」
「彩華。」
「なに?だめ?」
「俺は彩華と新しく始めたいんだ。ゼロから。彩華と。」

 『新しくゼロから』その言葉が胸にグッときた。確かに新しく始めたい。新しい私。賢人と一緒に。

「あと俺は…。」
「なに?他にあるの?」
「彩華のウエディングドレス姿が見たい。」
「…ドレス…。」
「ウエディングドレスも一生に一度。彩華は綺麗だから、きっとドレス姿はもっと綺麗だ。」

(そうしたら、式…披露宴…?)

「入籍日も決まってない。指輪も。俺達には何のこだわりもない。ゆっくり考えて決めていこう、彩華。」
「うん…。」
「彩華?」

 私はジントニックを見ながら、惨めな昔話がぼやけて現れそうに。

「彩華、要らないことは考えないで。」

 私が賢人を見ると、賢人も私を見ていた。賢人は私のことが何でもわかるの。私にもわからない、私のことも知っている。それが賢人なの。

「賢人なら…賢人と一緒なら…。」

 賢人はグラスを上げる。私達は笑顔で乾杯をした。

「彩華…気持ち良い…彩華…」

 賢人が熱い。ずっと熱い。全部熱い。ずっと私を熱していて。

「彩華、今日も良かった。」
「何が?」
「色っぽい。」
「そう?」
「そう。それと締め付け具合。」
「それは嘘。」
「嘘じゃない。いつも離してくれないくらい締め付ける。」
「そんなことない!」
「そんなことある。」
「賢人!」
「また締め付けて彩華…」
「賢人まだ…」

 離れられない。

「彩華…きつい…」

 離れたくない。

 ずっと私と一緒にいて。

 ずっと一緒にいる私達の時間。それから前へと進む。私達は進める。私達を、進める。

「彩華、住む場所。どこがいいか、希望ある?」

 私達は新居を探した。賢人と私が住んでいる所は近く、場所は決めやすかった。引っ越してもお互い通勤が苦にならない、そんな場所の物件を何軒か見た。

 三軒目。それまで感じたことのない雰囲気の部屋。今まで見てきたどの部屋も明るかったのに、なんかここは、暖かい?私達を待っていてくれたような。こんなこと感じるなんて。どうしたの?私。

「陽当たり良い…。明るくて広くて…。でもそれだけじゃない…。なんか…心地良い…。」
「彩華、キッチンはどう?」
「うん良い…使いやすそう。」

 私達は窓の外、景色を見る。下には隙間なく立つ建物の絨毯。上には私達を照らす眩しい陽。

「いいところだね、彩華。」
「うん…。でも、少し広すぎない?部屋数も多いし…。」
「いいんだよ彩華。いつ家族が増えてもいいように。」

(あ…そっか…、私達は夫婦に…。)

 私は決める。

「賢人、私…。」
「ここにしようか、彩華。」

 賢人は言った。

(賢人も感じた?この部屋の雰囲気。)

 迷いはなかった。私達は笑い合い、その部屋に決めた。

 賢人んちのソファ。テーブルにはコーヒーのマグカップ。

「ねえ賢人。寝室の照明はシャンデリアがいい。」
「もう決まってるの?」
「寝室はロマンチックにして、リビングはカジュアルにして…。」
「彩華、俺の意見はどうなるんだよ。」

 賢人は笑った。私は恥ずかしくなった。賢人にも、調子に乗っている自分にも。

「ごめん…、賢人。」
「いや、いいんだ彩華。そうやって、お互い思ったこと、これからどんどん言っていこう。」
「いいの?」
「もちろん。ふたりで話し合って、ゆっくり決めていこうよ、彩華。」
「ふたりで、一緒に?」
「そうだよ、彩華。」

 これからのことを、ひとつひとつ話していく。私は楽しかった。賢人と話をするだけで、それだけで楽しいの。楽しいのは、賢人だから。

「賢人…足りない…」
「何が足りない…?」
「…全部…全部足りない…」
「欲張りだな…彩華は…」
「賢人もっと…」

 気持ち良いのは、賢人だから。

 いくら呼んでも呼ばれても足りない名前。もっともっとと欲しがる。私はいつからこんなに欲張りになったのだろう。もっと欲張りに、なってもいい?ねえ、賢人。

「彩華…」
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