デアウベクシテ
第21話~麻痺
 夜。ベッドの中。きっと賢人は、ずっと気になってたことだと思う。私が泣いても暴れてもどうなってもいいよう、選んだ場所と時間。ゆっくりと、賢人は私に聞いてきた。

「彩華、聞いてもいい?」
「なに?」
「彩華は一度、妊娠してる。その後のこと。」

 まだ話していない、惨めな昔話があったことに、私は気付く。

「…あ…。えっと…。」
「でも彩華、話したくないなら無理して話さなくていい。」

 賢人の優しさで浄化された私は、すっと答えることができた。

「それはちゃんとしなくちゃいけない。そう思った。自分の体の中に、新しい命…。だから男友達に協力してもらって、病院行って手術した。…けど…。」
「けど?」
「初めは…指輪とお金と同じ、何も考えられなかった…。でも…彼が消えたのなら、私もいっそ赤ちゃんと一緒にって…、一瞬だけ…よぎった…。」

 さすがに賢人も引いてしまうだろう、こんな昔話。愚かな私は、まだいたのね。でも。いつかは絞り出さなくてはいけない話と、その私。

「彩華…。」
「賢人…ごめんなさい、こんな話…。」
「彩華。俺はそもそも男だから、彩華の気持ち、全部なんてわからないだろう。でも、辛かっただろ?ひとりで、虚しかったんじゃないか…?」

 賢人の声が、私に落ち着きを。

「辛かったし、虚しかったんだろうけど…。んー…なんか…、麻痺?してるみたいな。その麻痺が、ずっと続いてたのね。何も感じなくなって。でも賢人と出会って、その麻痺が治った。賢人はお医者様ね。」

 私は少し笑った。落ち着きも、余裕も出てきた。

「そんな悲しい顔して笑うなよ…。」

 賢人は私を抱き締める。

「悲しい顔なんて、してないよ私。」

 私はまた笑った。

「してるんだよ…。泣きながら笑ったりなんかするなよ…。」
「何言ってるの?私泣いてなんか…。」

 そういえば賢人の胸が濡れている。私の涙だった。

 私はその時、初めて気付く。

 私は麻痺の裏で、悲しいと思っていた。何て無様《ぶざま》な物語。

「赤ちゃんと一緒に…?」
「一瞬よぎっただけ…。でもそんな勇気、私にはなかった。」
「あったら?あったら彩華、どうしてた?」
「どうって…。」

 答えはひとつしかない。だけど答えられなかった。そうしようとしたことのある賢人に。

「俺達に『ふと』も『よぎる』ももうない。俺には彩華が、彩華には俺がいる。」
「うん…。」

 私は全てを、懐かしく思う。懐かしく、思えるようになった。

「そんな顔、俺は彩華に絶対させない。」

 私は私の涙で濡れる賢人の胸に、頬と手を当てる。賢人の鼓動。私は目を閉じ、手と心だけで聞いていた。

「賢人?」
「なに?彩華。」
「情けは人の為ならず、って、あるじゃない?」
「ああ。それがどうかしたの?」
「あれってほんとだなって思った。」
「彩華、何かあったの?」
「手術のことが原因で、友達を何人も失くしたの。協力してくれた友達はもちろん、その周りの友達とか。」

 私達は『ふと』も『よぎる』も経験した。

「私は赤ちゃんを殺した。」

 その頃より、少しは命の重みを知ったはず。

「だから私は、結衣のことも失くしたんじゃないかって。自分のしたことって、ちゃんと返ってくるのね。そう思うと、賢人と出会えたのは奇跡…。どうして出会えたんだろう…。」
「理由はひとつしかないだろう。」
「なに?どうして?」
「彩華は優しいからだよ。」
「…私はそんなんじゃ…。」
「彩華のことだから、人には優しくするのに、自分のことは何も考えない。そう生きてきたんじゃないか?」
「…自分…。」
「そう、自分。俺達が初めて出会った時のこと思い出してごらん。俺のことは心配するのに、彩華は自分のことは『どうでもいい』って言った。俺ははっきり覚えてるよ。」

 私もはっきり覚えていた。『どうでもいい』と言ったことも。

 確かに私は、人のことは考えていた。それが『優しさ』と言えるモノだったとは、到底思えないけど。ただ、友人に何かあったら私はその友人を思い、私なりに考え言動をとっていた。それが当たり前だと思っていた。決してなあなあにはしなかった。

 でも自分のことはないがしろにしていた。ううん、軽んずることもなく、何も考えていなかった。『どうでもいい』その一言に尽きる。この時の私は、きっとまた情けない顔をしていただろう。

「ほら…やっぱり…。」
「賢人は私の何でもわかる…。」
「俺は絶対に…そんな顔、そんなことさせない…。」

 熱い賢人。賢人の熱で、私の涙が消える。賢人の想いの重みを感じた。感情の激しさも。呼ばれる名前が深く聞こえる。

「彩華…」
「賢人…苦し…」
「彩華…彩華…」

 重なることの意味を確かめた。私の気持ちも確かめられた。私は確かに、賢人を愛している。
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