デアウベクシテ
第3話~いいよ
 その人はベッドに入る。布団を掛けた。少しの間見ていたけど、怪しい動きも何もせず動かなかった。安心した私は、ソファに深く座る。やっぱりため息しかなかった。

 私はしばらくぼーっとしていた。何か考えていたのかいなかったのか。数十分経って、私はベッドに近付く。布団を覗き込む。その人は眠っていた。顔色は暗くてよくわからなかったけど、気持ちよさそうに寝ていた。ちゃんと息もしている。安心した私はソファに戻った。

(喉乾いた。)

 冷蔵庫を開ける。

(お酒なんか飲んだら眠くなるよね。飲みたい気分だけど。)

 すぐそばには様々な道具。

(へー、こんなのあるんだ。)

 その時思い出す、部長のこと。急いでスマホを見る。ラインが入っていた。

  今日はどうしたの?何か用事かな?

 部長は毎週、金曜は家に帰らない。私と会わない日は、部長は部長の友人のバーで朝までいる。私は部長に返事をする。

  友人と飲んでたら、その子が酔いつぶれちゃったの
  だから家まで送ってた
  連絡できなくてごめんなさい

 すぐに返事が来た。

  お疲れ様
  また来週ね

 さすが既婚者。この余裕。

 それから私は時間を潰す。色んな手を尽くす。3時になって4時になって。始発まであと少しだけど、その人のことを考えたら起こす気になんてなれなかった。そう考えているうちに、私に睡魔が。体が重い。

(眠い…。まばたきがつらい…。目を開けたくない…。)

「はっ!」

 私はいつの間にか寝てしまっていた。

(いけない…あの人…。)

 私は急いでベッドに向かう。その人がいない。布団を大きく広げても、もういなかった。触れたシーツ。少しだけ温かい。

(まだ近くに…いる…?)

 部屋を出ようとした私の目に付いた、テーブルの上の小さな紙。時間がないのに、気になった私は手に取る。

『ありがとう』

 その紙を握り締め、私はまた急ぐ。

(とりあえず…とりあえず…駅…。)

 駅までの道はひとつしかなかったはず。私は走った。駅が見えてくる。その人を探す。すぐに見つかった。駅に入ろうとしている。私はその人に向かう。改札前。

「待って!」

 その人は振り返った。私は昨日と同じことを聞く。

「どこ行くの?」

 その人はゆっくり答えた。

「帰るよ。」
「送る。」

 私は素早く言った。その人についていく。

 昨日その人が言ったように、確かに2駅下った駅で下車した。改札口でその人は立ち止まる。私は言った。

「家どこ?送る。」

 ふたり改札を出て、私はその人についていく。どうか逃げないで。

 10分程歩いて、その人は立ち止まった。立派でお洒落な建物の前。私は見上げた。

(高級マンション?)

 その人は立ち止まったまま。私は言った。

「部屋どこ?」

 その人の足が進む。真正面のエレベーターに乗る。3階。エレベーターすぐ左の扉。その扉の前でその人は止まった。部屋に着いても、私の心配は変わらなかった。

「今日、休み?」
「休み。」
「…予定は?」
「ない。」

(ある訳ないよね…。でも何か言わなくちゃ、何か…。)

 考えながら、私は手を握り締めた。何か握っている。その人の置いていった紙だった。手を少しだけ広げる。

 そうだ。結局みんな、最後は『ありがとう』の5文字だけ。私は考えるのをやめた。くしゃくしゃになった紙を見ながら、一言だけ。

「…死なないで…。」

 私って、なんて無力なの。その人に背を向け帰ろうとした。エレベーターのボタンを押す。

「ねえ。」

 その人が声を掛けてきた。私は振り返る。

「そんなに俺が心配?」
「当たり前でしょ。」

 私は即答した。当たり前のことを。

「そんなに心配されたら、好きになる。」

 軽い言葉には、軽い言葉を。

「いいよ、好きになっても。」
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