デアウベクシテ
第7話~バカ
「彩華はどこに住んでるの?彩華んちまで送る。これ食べたら帰ろう。」
「え?私帰るの?」

(あ、ついでに聞いてみよう。)

「付き合うって何?私何すればいいの?」

 ごく一般的であろう『付き合う』とか『恋人』とか。そんなモノ、私はもう忘れていた。賢人は言う。

「付き合ってくれるんだ、俺と。」

(あ…。そうなの?私そう思ったの?)

 賢人は優しく言った。優しい笑顔で。

「彩華は彩華でいい。」
「そういう訳にはいかないでしょ?何か恋人らしいことを…。でも恋人らしいって、何…?」
「何も考えなくていいんだよ。あ、そうだ。今度買い物付き合ってよ。渋谷。あの店の新作見たいと思ってたんだ。」
「そういうのを、デートって言うの?」

 賢人はどこまでも優しかった。

「デートなんて、お互いがしたいことをしていけばいい。俺は彩華となら、どこで何したっていい。でも何より、一緒にいることが一番大切だと俺は思うんだ。だから俺は彩華と一緒にいたい。彩華がいれば、それでいい。」

 何でだろう。賢人の言葉に現実味を感じない。多分、嬉しいことを言ってくれている。言われたことないような嬉しいこと。それはわかるような。嬉しいことを嬉しいと、感じることを私は忘れてるの?

「今日、私帰らない。」

 どうしたの私。自分の感覚が、自分でもわからなかった。

「彩華…」

 その夜、私は賢人と寝た。

 思った以上に賢人はセックスが上手く、何度も私を気持ち良くさせてくれた。私の弱いところ、好きなところを賢人にゼロから教えるのも新鮮だった。そして賢人は私にぴったりフィットした。パズルが1ミリもずれることなくはまるように。そんな人、賢人が初めてだった。

 賢人のセックスは気持ち良い。賢人の胸の中は落ち着く。『落ち着く』の定義なんてわからないくせに。

(私は今、何を考えてるの?)

 賢人と過ごした週末。

 週が明けた。出社する私はぼんやりしていた。

 社内、長い廊下。部長と隠れて、何度もキスをした廊下。前から部長がひとり歩いてきた。いつもなら挨拶をする。その時もそのつもりだった。なのに。

「お疲れ様です。」

 私は会釈をした。

「お疲れ。」

 すれ違う部長に私は告げた。

「別れてください。」

 部長すぐ言った。

「ちょっといい?」

 私は部長に腕を捕まれ、薄暗い部屋に入れられた。資料室。大量の資料と埃。部長は鍵をかける。

「どうしたの?彼氏でもできた?」

 私は何も答えず、部長から目をそらした。長テーブルの上、部長は大袈裟に資料の山を払う。埃が舞う。咳き込む私はテーブルに押し倒された。埃と一緒に、部長の熱い息が私の口の中に入る。

「反応が悪いね。体は正直だ。」
「やめて…」
「嘘はよくないな。悪い子だね。」
「やめて…ってば…」
「悪い子にはお仕置きだよ?」

 埃が舞う中、私は朽ち果てた。制服を整える私の埃を、部長は払う。

「また、金曜日ね。」

 笑顔で去っていく部長。その時、私の頭の中は真っ白だった。だけど心の中には賢人がいる。私は愚かな女。スマホが鳴る。賢人からのライン。今夜も会うことになった。

「すぐ賢人の部屋に行きたい。」

 そしてすぐセックスをした。したかった。どうしても。

「彩華、何があったの?」

 さすがに帰ってすぐセックスはない。素肌の賢人はまた私を見つめていた。賢人の目に、私は既に慣れてきていた。

「今日…部長と別れた…。」
「寂しい?」

 その言葉に違和感。私でさえ、間違ってると思った。

「どうしてそんなことが言えるの?自分の彼女が不倫相手と別れたのよ?よかったとか思わないの?」
「俺は彩華の全部が好きなんだ。今の彩華が成り立っているもの、全部合わせて彩華だろ?」

 これは優しさなのだろうか。それとも。呆れるのはおかしいのだろうか。

「…賢人。」
「ん?」
「賢人って、バカだね…。」
「どんなところが?」
「私を好きなところが…。」

 賢人は子供のように笑った。

「じゃあバカでいい。」

 本当は嬉しいと思ってるのに、恥ずかしくて強がる私。嬉しそうに、無邪気に私を抱き締める賢人。

「バカ…。」

 賢人はすごく優しい。すごく気持ち良い。すごく落ち着く。そんな人。

 だからこそ、怖かった。
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