デアウベクシテ
第8話~うざい、きもい
 金曜の夜は必ず賢人になった。部長とは資料室っきり。ホッとなどしない。心配もしない。私は賢人だった。

 気付けば賢人と出会って3ヶ月?その3ヶ月間、私の胸にずっと引っ掛かるものがあった。何だろう。

 ある日の駅近く。小さなバー。マティーニとジントニック。

「この前のライヴも良かったね、彩華。」
「うん、楽しかった。」
「チケット取るのは大変だけど、2階席で観るのも良いね。」
「うん、良い。ステージ全体が見えるから、メンバーの動きがはっきり見えて嬉しかったし、それからオーディエンスも見えて…、楽しかった。」
「また行こう、彩華。」
「うん。」

 私はジントニックを飲み、少し冷えた後、熱くなる。

「…ねぇ賢人?次はどこに行けばいい?何をすればいいの?」
「今まで通り自然に任せようよ、彩華。」
「その『自然』が、私はわからないの。」

 賢人は微笑んだ。

「やっぱり彩華は優しい。」

 賢人のほうが何倍も優しい。賢人より優しい人はいない。

「彩華…?」
「なに…?」
「今日も綺麗…」

 賢人に抱かれれば抱かれるほど落ち着きを感じる。賢人を実感する。でもセックスじゃない、とにかく賢人と一緒にいることが落ち着くの。怖いくらい。賢人が言っていた『一緒にいることが一番大切』って、こういうこと?

 賢人と会っている時、私が笑うと賢人はいつも教えてくれた。その度、賢人は嬉しそうだった。でも出会って付き合って半年もすればそれもなくなった。賢人が教えるまでもなく、私は笑えているらしい。それでもまだある、胸に引っ掛かるもの。

「はい、賢人。」

 賢人んちの近くの公園。私はベンチに座る賢人に缶コーヒーを渡した。

「ありがとう、彩華。」

(あ、賢人のこの表情。きっと今、私笑えてる。)

 聞かなければよかったのに。私は本当に愚か。夕日が見えた。

「ねえ、賢人。」
「なに?」
「賢人はどうしてそんなに優しいの?」

 何事も、軽々しく聞いてはいけない。賢人はほんの少しだけ悲しい顔をした。私は疑問、どうしたのだろうと。見たことのない、賢人の悲しい顔。でも一瞬だった。本当はずっと悲しかったはず。賢人は夕日を見ていた。

「俺は子供の頃、母親を亡くしてね。すごく優しい母親だった。今でもそうかもしれないけど、子供の頃、俺は弱くてよくいじめれてたんだ。学校でも、近所でも。」
「賢人は弱くない、弱くなんかない。」

 賢人は笑った。

「ありがとう、彩華。」

 賢人はまた夕日を見る。

「そんな俺をいつも母さんは慰めてくれて、励ましてくれた。心強かった。でも俺が7歳の時、事故で死んだんだ。親孝行なんて言葉も知らなかった。」

 私は胸が酷く傷んだ。何て言おう。それとも、何も言わないほうがいい?そんな私に、賢人は続けた。

「子供ながらに、俺も母さんみたいに優しい人になろうと思った。俺も誰かを心強くできたらって、そう思って生きてきた。だけど…。」
「…だけど…?」
「俺のやり方が間違ってたんだろうな。今まで色々言われたよ。『お前は女みたいだ』とか、『優しすぎてうざい、きもい』。…こうやって改めて言うと、散々だな。」

 賢人は笑っていた。なんて心が痛む笑顔なの。見ていられない。私は下を向いた。これ以上、賢人の心をいじりたくない。

「賢人ほど、優しい人なんていないのに…。」

 私は口から無意識のうちに出ていた。賢人は言った。

「そう言ってくれるのは彩華だけだ。彩華にそう思われて、俺は嬉しいよ。他の誰でもない、彩華に。だからそんな悲しい顔、して欲しくない。」

 聞いたことに後悔をした私は、賢人を見ることができなかった。

「…賢人は私に優しいのに、私は賢人に優しくできてない…。」
「そんなことない。」
「そんなことある…。」
「そんなことないよ。出会った日、ずっと俺を心配してくれた。今だって。そうだろ?」

 私は少しずつ賢人を見る。とてもじゃないけど笑えないし、言葉も知らない。私は賢人の肩に寄り添った。賢人は私の肩をギュっとしてくれた。

「俺の部屋の棚、わかる?彩華。」
「棚…。あのCDが並んでる棚?」
「そう。」
「それがどうしたの?」
「あれは、母さんが買ってくれたんだ。」
「そう…だったの…。」
「あれが、俺に買ってくれた最後のモノになった。」

 初めて賢人の部屋に入って、目立っていた中途半端な背の棚。他の家具とは合わない棚。

「じゃあ…あの棚は賢人のお母さんね。そのお母さんはいつも賢人を見てる。優しいお母さんなら、今でも大切に使ってること、きっと喜んでる…。」

「ほら。」
「え?なに?」
「彩華はやっぱり優しい。」

 賢人はいつもの微笑み。

「ありがとう、彩華。好きだ、彩華。」

 素直じゃない私。同じ言葉を言えなかった。同じことを、想っているのに。
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