デアウベクシテ
第9話~天秤
金曜。夜。賢人から。
ごめん、少し遅れる
(何だろう?金曜日に残業は絶対しないし…。)
待ち合わせまで時間が空いてしまった。ゆっくり歩く私の目に入ったカフェ。ここで時間を潰そう。それまでにはきっとまた、賢人からラインが来る。
「いらっしゃいませ。」
ゆっくり店に立つ私の目に入った賢人。女と一緒だった。賢人だと確認して、私は店を出る。迷わずラインをした。相手は部長。
前と同じ場所、同じ店。
「お疲れ。」
私は席に座る。酷く機嫌の悪い顔をしていたらしい。
「随分怒ってるみたいだけど…どうしたかなんて聞かないよ。大丈夫、沢山慰めてあげるから。」
何も変わらない部長が、何も言わない私に言った。
「君は僕から離れられないんだよ。ずっと。」
悪魔の囁き。
「君は僕のものだ。」
私は怖くなった。血の気が引くのがわかった。この人の、こんな言葉に、どうして。
(怖い…誰か…。)
私が助けを求める?そんなこと、今までなかったこと。
(賢人…。)
私はすぐに店を出た。走る。どこかに。ここじゃなければどこでもいい。少しでも遠く、離れたい。
気付けば駅に来ていた。人が多い中、私はしゃがむ。うずくまる。シャッターの閉まった売店の影。手にはスマホ。勝手に指が動く。賢人に電話をしてしまった。
「彩華?今どこ?」
「賢人…私…。」
「俺今、彩華と同じ駅にいるはずなんだ。どこにいる?」
「…え…?」
そんなはずない。賢人がいるはずなんてない。
「彩華!」
電話じゃない。賢人の呼ぶ声。賢人は本当にいた。私を見つけた。私の肩を掴む。
「彩華、立てる?もう帰ろう。」
金曜、夜の満員電車。人とアルコールのにおいに囲まれる。賢人はずっと私を支えた。その時の私は何も考えられず、賢人に支えられるしかなかった。
賢人のマンションに着いて、私は中に入るのを躊躇った。
「彩華?」
(呼ばないで…呼ばないで…。)
「彩華、入って。」
私は一歩、足を踏み入れた。靴を脱いでゆっくり進み、ソファに座った。賢人は隣に座る。私用の部屋着を私の膝の上に置いた。
「彩華、今日はもう寝よう。」
「…どうして?」
「今日はゆっくり休んで…。」
「どうして何も聞かないの?どうして私があの駅にいたのか聞かないの?」
「彩華…。」
「どうしてそんなに冷静でいられるのよ!」
私は部屋着を賢人に投げつけた。何てことをしたの。息が苦しい。スカートをギュッと握った。
「彩華が見えたんだ。」
「え…?」
「あのカフェで、彩華を見たんだよ。」
「でも私はすぐに店を出た…。」
「だから俺もすぐに店を出て彩華を追った。追って駅に着いて電車に乗って。でも彩華を追えば追うほど人に遮られた。彩華が電車を降りたのを見て、俺も降りた。そこで彩華を見失った…。でもどこかにいるはずだと思ってずっと探したんだ。」
「ずっと…?」
「ああ。でも見付けられなかった…。」
私は深く目を閉じる。頭が重い。
「聞いてくれ彩華。今日一緒にいた女性は、元婚約者の友人だ。偶然会ったんだよ。もう1年も前のこと。でも俺がなぜ捨てられたのか、理由を知りたかった。女々しいと思われても、誰にどう思われてもいい。理由が知りたかったんだ。」
「…そんな思いまでして、どうして知りたかったの…。」
「同じ過ちをしたくなかった。彩華を失いたくない。」
目が熱い。なぜ?その熱い目が、賢人から離せない。
「俺は天秤に掛けられてた。」
「…天秤…?どういうこと…?」
「結婚した男と俺を、天秤に掛けてたんだ。同時進行で。迷いに迷って、ぎりぎりまで決められなかった。だからあんなことになった。」
「そんな…。」
「俺は『いい人』止まりだった。『いい人』だけど『愛する人』にはなれなかった。男としての魅力がなかった。それが理由だったんだ。」
私は大声だった。賢人に向けて言う。
「違う!その婚約者は賢人の魅力に気付かなかっただけ!…賢人の何を知ってたの…賢人のどこを見てたのよ…!」
大声を出すと、目の熱さが増した。私は思い出す。賢人と出会った日、駅で起きたこと。捨てられたとは言え、一度賢人が愛した女。
「ごめん賢人…。私、文句ばっかり…。」
『愛する』意味なんてわからないくせに。
ごめん、少し遅れる
(何だろう?金曜日に残業は絶対しないし…。)
待ち合わせまで時間が空いてしまった。ゆっくり歩く私の目に入ったカフェ。ここで時間を潰そう。それまでにはきっとまた、賢人からラインが来る。
「いらっしゃいませ。」
ゆっくり店に立つ私の目に入った賢人。女と一緒だった。賢人だと確認して、私は店を出る。迷わずラインをした。相手は部長。
前と同じ場所、同じ店。
「お疲れ。」
私は席に座る。酷く機嫌の悪い顔をしていたらしい。
「随分怒ってるみたいだけど…どうしたかなんて聞かないよ。大丈夫、沢山慰めてあげるから。」
何も変わらない部長が、何も言わない私に言った。
「君は僕から離れられないんだよ。ずっと。」
悪魔の囁き。
「君は僕のものだ。」
私は怖くなった。血の気が引くのがわかった。この人の、こんな言葉に、どうして。
(怖い…誰か…。)
私が助けを求める?そんなこと、今までなかったこと。
(賢人…。)
私はすぐに店を出た。走る。どこかに。ここじゃなければどこでもいい。少しでも遠く、離れたい。
気付けば駅に来ていた。人が多い中、私はしゃがむ。うずくまる。シャッターの閉まった売店の影。手にはスマホ。勝手に指が動く。賢人に電話をしてしまった。
「彩華?今どこ?」
「賢人…私…。」
「俺今、彩華と同じ駅にいるはずなんだ。どこにいる?」
「…え…?」
そんなはずない。賢人がいるはずなんてない。
「彩華!」
電話じゃない。賢人の呼ぶ声。賢人は本当にいた。私を見つけた。私の肩を掴む。
「彩華、立てる?もう帰ろう。」
金曜、夜の満員電車。人とアルコールのにおいに囲まれる。賢人はずっと私を支えた。その時の私は何も考えられず、賢人に支えられるしかなかった。
賢人のマンションに着いて、私は中に入るのを躊躇った。
「彩華?」
(呼ばないで…呼ばないで…。)
「彩華、入って。」
私は一歩、足を踏み入れた。靴を脱いでゆっくり進み、ソファに座った。賢人は隣に座る。私用の部屋着を私の膝の上に置いた。
「彩華、今日はもう寝よう。」
「…どうして?」
「今日はゆっくり休んで…。」
「どうして何も聞かないの?どうして私があの駅にいたのか聞かないの?」
「彩華…。」
「どうしてそんなに冷静でいられるのよ!」
私は部屋着を賢人に投げつけた。何てことをしたの。息が苦しい。スカートをギュッと握った。
「彩華が見えたんだ。」
「え…?」
「あのカフェで、彩華を見たんだよ。」
「でも私はすぐに店を出た…。」
「だから俺もすぐに店を出て彩華を追った。追って駅に着いて電車に乗って。でも彩華を追えば追うほど人に遮られた。彩華が電車を降りたのを見て、俺も降りた。そこで彩華を見失った…。でもどこかにいるはずだと思ってずっと探したんだ。」
「ずっと…?」
「ああ。でも見付けられなかった…。」
私は深く目を閉じる。頭が重い。
「聞いてくれ彩華。今日一緒にいた女性は、元婚約者の友人だ。偶然会ったんだよ。もう1年も前のこと。でも俺がなぜ捨てられたのか、理由を知りたかった。女々しいと思われても、誰にどう思われてもいい。理由が知りたかったんだ。」
「…そんな思いまでして、どうして知りたかったの…。」
「同じ過ちをしたくなかった。彩華を失いたくない。」
目が熱い。なぜ?その熱い目が、賢人から離せない。
「俺は天秤に掛けられてた。」
「…天秤…?どういうこと…?」
「結婚した男と俺を、天秤に掛けてたんだ。同時進行で。迷いに迷って、ぎりぎりまで決められなかった。だからあんなことになった。」
「そんな…。」
「俺は『いい人』止まりだった。『いい人』だけど『愛する人』にはなれなかった。男としての魅力がなかった。それが理由だったんだ。」
私は大声だった。賢人に向けて言う。
「違う!その婚約者は賢人の魅力に気付かなかっただけ!…賢人の何を知ってたの…賢人のどこを見てたのよ…!」
大声を出すと、目の熱さが増した。私は思い出す。賢人と出会った日、駅で起きたこと。捨てられたとは言え、一度賢人が愛した女。
「ごめん賢人…。私、文句ばっかり…。」
『愛する』意味なんてわからないくせに。