その上司、俺様につき!
コポコポと水が湧く、癒しの音色が聞こえる。
(願わくば、帰りの時には席をはずされていますように……!)
私は心の中で神様に祈りつつ、現在置かれている自分の状況を改めて振り返った。
(まさか会社で、こんな時間に、こんな場所で、こんな経験をするだなんて……)
社内の一室だとは思えないほど、この部屋にはゆっくりと時間が流れている。
私はうっかりすると閉じそうになる瞼を、必死に気力で堪えた。
(……しかも社長公認だなんて)
二日酔いの上に寝不足も祟って、気を抜くと寝てしまいそうになる。
「お待たせしたね」
いよいようつらうつらと船を漕ぎそうになった時、社長がこちらを振り返った。
そして大きめの白いマグカップを手にして、漆黒の液体をなみなみと注ぐ。
芳しい香りが部屋いっぱいに広がった。
「お代わり自由だ。好きなだけ飲みなさい」
そう言って、座ったまま何の手伝いもしなかった私にカップを手渡してくれる。
「も、申し訳ありません。な、何もせずに見ていただけで……」
「いや。これは私の数少ない楽しみなんだ。誘ったのもこちらなんだし、君は気にしないでコーヒーを味わってくれればいい」
ふと、その時、なぜか久喜さんの顔が脳裏に浮かぶ。
(……どうしてこんな時に彼のことを)
はっきりとした理由はわからないが、不思議と社長の口調に久喜さんの面影を重ねてしまったのだ。
(社長と話し方が似ている……?)
心に妙なひっかかりを覚えたけれど、それ以上深く考えることは、状況が許してくれない。
今は取るに足らない勝手な妄想より、手の中にある美味しそうなコーヒーに集中したかった。
こだわりがある喫茶店などに行かなければ、これほど手間隙かかったコーヒーを飲む機会はないだろう。
香りだけで十分満足してしまいそうになる。
私はありがたい気持ちでいっぱいになりながら、マグカップに口をつけた。
「……美味しい」
ふわっと鼻腔に広がる芳醇な香ばしさ。
追って、しっかりとした苦味と酸味が舌の上に広がった。
「美味しいです……」
なんだか泣きそうになる。
こんなにも満たされる飲み物がこの世にあったのかと、心から感動してしまった。
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