シンデレラの網膜記憶~魔法都市香港にようこそ
「ええ、具体的には、脳では『記憶』に重要な海馬の神経回路形成に、そして網膜では『視力と色覚』を司る神経細胞に、大きくかかわっているのではないかと考えています」
「人は網膜に映ったものを、大脳で解析して、その記憶を海馬に蓄積する。それを可能にする神経の形成に『miR-124a』は深くかかわっているということですね」
「そうです…実はそればかりではなく、それが私がメインで研究している『網膜再生』にむけたゲノム編集に、とても有効に作用するのではないかと考えています」

 エラは早口で語り合う二人を交互に見ながら、梁裕龍先生の同席を断るべきだったかもしれないと後悔しはじめた。

 ふたりの会話に出てくる古代文明の呪文のような単語の羅列は、エラを船酔いに似た気分にさせた。だが、出来るだけ寛容な笑みを口に浮かべておとなしく聞いていた。
 一方でエラが今にも吐きそうな気分でいることは、タイセイも察していた。こんなつまらない話しで申し訳ないと思うのだが、梁裕龍先生に同席を了解してしまった以上、話をやめて帰れとも言えない。
 彼はエラが心配になって、梁裕龍先生が話している最中でも、ちらちら彼女を見て気遣った。

「確かに…神経形成における『miR-124a』の役割の探求は、非常に興味深い研究であると思いますが…一方でそれが生み出すたんぱく質のことについては、オーラルセッションではまったく触れておられなかったですね」

 タイセイは梁裕龍先生の言葉に意表を突かれて息を飲み込んだ。

「どうして…それをご存じなんですか?」
「いや…論文でちょっと目にした気がして…」

 もう、エラを気遣う余裕を失っていた。タイセイはそのたんぱく質のことは研究室の同僚にも話していないし、論文にも一切書いていない。偶然に発見したたんぱく質だから、彼以外このことを知っている人間はいないはずなのだが。

「私はそのたんぱく質についても、大変興味がありましてね。セッションでお聞きできるかと期待しておりました」
「その…たんぱく質については…まだ研究としては不十分で、学術発表には値しませんよ」

 彼の抑制的な発言にも関わらず、梁裕龍先生は多少押しつけがましくタイセイに迫る。

「いや、すでに纐纈先生はそのたんぱく質の存在と機能を確認されているのでしょう?」

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