シンデレラの網膜記憶~魔法都市香港にようこそ
「ところで…ミス・エライザ」

 PMQのレストランをあとにしたふたりは、士丹頓街(スタントン ストリート)の緩やかな坂を下っている。いまのふたりは、PMQに入る前とはちがって、肩をならべて歩いていた。

「どうぞ…エラって呼んでください」
「ああ、それでは…エラ」

 タイセイはエラが大事に抱えているスケッチブックを見ながら言った。

「君は絵を描くことが本当に好きなんだね」

 エラが恥ずかしそうに、スケッチブックを背中に隠す。

「ちょっと見せてもらってもいいかな?」

 最初は渋ったものの、再三のタイセイのお願いに根負けして、エラはスケッチブックを彼に差し出した。


 タイセイは学生時代から、理系一筋で育ってきた男だ。一般教養としての美術史とそれぞれの時代にちらばる代表的な作品と作者は知識として知ってはいたが、実際に作品を前にしてその芸術性を見分ける目や耳があるはずはなかった。しかし、エラのスケッチブックに描かれた絵に、彼は少なからぬ興味を覚えた。
 それは、一ページに一つの風景や作品が描かれているのではなく、エラの目に映ったものやことが、まるで切り取られた写真のコラージュのように、ページ一杯に散らばっているのだ。
 スケッチブックに見入るタイセイを黙って許していたエラだったが、ついに恥ずかしさに耐え切れず言い訳っぽく口を開く。

「目に映ったものを、ただ描きちらしているだけですから…」

 タイセイは、エラの作品から顔をあげると、目を輝かせて彼女に話し始めた。

「パッチワークってあるでしょ」
「パッチワーク?」
「ええ、使い古しの布を集めて、縫い合わせるやつです」
「それが…?」
「縫い合わせた布の柄は、それぞれまったく関連性はないのだけれど、出来上がってみると、それでひとつのアート作品になっている…そんな、絵ですよね」

 タイセイはあらためてスケッチブックの絵に見入りながら言った。

「ぼくは絵のことはよくわからないのですが…なんか凄くいいような…そんな、評しか言えない自分が情けないのですが…」
「そんなに見ないでください…恥ずかしいです…」
「今更ながら…さっきエラをアーティストだって紹介したことに、間違いはなかったと安心しました」

 エラはついに恥ずかしさに耐え切れずスケッチブックをタイセイから奪い返した。

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