シンデレラの網膜記憶~魔法都市香港にようこそ
 一方タイセイはきらめくビル群への関心は薄いようだった。どうも彼が虜になっていたのは、都市に施された美しい演出よりも、ライトを反射するエラの潤んだ瞳のようだった。

 ザ・ペニンシュラ香港での時もそうだが、エラと会ってからというもの、美しいという意味が、今まで自分が使っていた意味と全く別の意味で感じられるのはなぜだろうか。
 かつて、妻であった女性も、それなりに美しい女性ではあった。しかし、目の前にいるエラは、それと同じ意味での美しさではまったくなかった。「美しい」という言葉は実に多様なものを表現する形容詞であることを、いまさらながら理解できたタイセイであった。
 ロンシャンのワンピースを華麗に着こなして、スターフェリーの木製のベンチに優雅に腰かけているエラ。その外見から、中環(セントラル)の公園で、デニム姿で抱きついてきたエラとは別人のようだと、人はいうかもしれない。
しかし、彼は12時間彼女ともに過ごして気付いた。彼女はロンシャンであろうと、デニムであろうと、変わることもなく、人をやさしくするオーラをいつも発光している。それはきっと、一度光を失ったエラが、再び光を取り戻した奇跡を心から感謝するとともに、その感謝を周りの人たちにおすそ分けする無欲で純粋な生き様が、きっと彼に伝わってくるからなのだろう。このやさしいオーラこそ、エラの美しさなのだ。
そして世の中には数多くの美しいものがあるが、今目の前にしている美しさほど、自分に好ましいものはないのだと、心に思うタイセイであった。

彼女が夜空から視線を戻し、微笑みながら彼の瞳を見つめ返してきた。
タイセイは、はっとした。自分はどんな顔をしてエラを見つめているのだろうか。出会ったばかりの女性に対して、はなはだ不謹慎な表情をしていたのではないだろうか。

「クルーズのサービスについている軽食をもらってくるよ」

一生に出会えるか出会えないかの運命の女性を目の前にしていたのにもかかわらず、その女性から逃げるように、席を立ってカウンターへ向かうタイセイ。
カウンターでチケットに印鑑を押され、パイナップルケーキとクッキー、そしてミネラルウォーターのペットボトルを手にして戻った頃には、タイセイも多少冷静な自分を取り戻していた。

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