シンデレラの網膜記憶~魔法都市香港にようこそ
 歩きながらもおしゃべりが止まらないエラ。香港で手を取り合って演じた夢のようなデートと壮絶な脱出劇、そして過酷な5日間の密航。ずっと顔をあわせて過ごしたこの何日間で、ふたりはもう20年来の夫婦のような親しみと愛おしさを育んでいた。エラがどんなにおしゃべりをしても、彼女への信頼と尊敬、そしてその愛しさの何を損ねることもないのだ。

 ベルボーイの先導でロビーラウンジを横切る時、タイセイは紅茶を片手に読書している見覚えのある淑女が目に入った。


「おふくろ…」

 実はモエは早くから息子の姿を認め、安堵と喜びに浸っていたのだが、その時は努めて平静を装いゆっくりと視線を本から息子に上げた。

「あら、タイセイじゃない。こんなところで奇遇ね」
「おふくろはなんでこんなところに?」
「たまには息抜きでね…一人旅しちゃいけない?」
「息抜きって…おふくろも呑気でいいね」
「それよりあんた、香港で学会じゃなかったの」
「ええ、だけど学会はとうに終わってるよ。学会の後、あなたの息子に何が起きたか、興味もないでしょうけどね」
「どうでもいいけど、薄汚れた格好してこんなホテルに来て、あなたはずかしくないの…えっ、ちょっと。何この娘…」

 日本語でのモエとタイセイの会話をしばらく聞いていたエラだったが、突然モエの足元にひざまずき、その足にキスをし始めた。

「エラ、いったいどうしたの」

 慌ててエラの奇行を止めに入るタイセイ。しかし、エラは瞳に大粒の涙をためて、モエの前にひざまずき、祈ることをやめなかった。そして、何度も小さくつぶやいた。

「ようやく、ようやく会えましたね。私のマリア様…」

 やがて祈りも終えて、エラが立ち上がると、モエもあきれてタイセイに懇願する。

「薄気味悪い。タイセイ、とにかくこの娘…どこかに連れて行って!」
「わかったよ…ただし、俺たちシャワー浴びたらまた来るから。せっかくだから、家族で食事でもしようぜ、おふくろ」

 おふくろの嫌がらせのために結婚したのではない。本当にエラを愛しているから結婚したのだ。だからエラも家族だよ。おふくろもきっと彼女を気に入るから…。
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