侯爵家婚約物語 ~祖国で出会った婚約者と不器用な恋をはじめます~
◇◇◇
ライルは学生時代からの友人、ナイジェルに誘われて会員制クラブへ向かった。
主に上流階級の紳士を顧客とする店である。
紹介制高級クラブの店内は薄暗く、カウンター席やホール中央のテーブル席、壁際のボックス席に分かれている。そろそろ日も暮れる頃合いで、フロア内には少なくない客たちがそれぞれ談笑している。
奥には個室もあるが、個室に行くほど秘密めいた話をするわけでもないし、女性を同伴しているわけでもない。
二人はボックス席に陣取った。
最初の酒を酌み交わすとナイジェルが陽気に口を開いた。
「それで、婚約者との同居生活はどうだい?」
ライルの婚約が決まったという話はケイヴォンに残っている上流階級に知れ渡っている。連日にわたって母エイリッシュがコーディアを連れまわしているのだ。
ナイジェルは赤味がかった金髪をはらった。昔から自分がよく見える仕草というものをわかっている男であるが、男女ともに分け隔てなく明るく接する性格のため嫌味に映らないのが彼の持って生まれた人柄だ。
「別に。どうにも」
ライルはそっけなく答えた。
特にこれといったこともない。ただ、自分の役目を全うするために結婚する、……それだけだ。
「可愛いって評判だと聞いているよ。そんな婚約者を捕まえておいて、別にって……」
「どうしてナイジェルがコーディアのことを知っているんだ?」
「僕の妻がきみの婚約者嬢と仲良くしているからね」
ライルは一時自分の婚約者候補にも名前が挙がった令嬢を思い浮かべる。
アメリカ・コールデッド(現在はナイジェルの妻のためリデル姓だが)。彼女の家もまた、八十年前の爵位はく奪事件から難を逃れた家系だ。アメリカはそつのない性格をしている。きっと租界帰りでこちらに慣れないコーディアのことをさりげなく手助けしているのだろう。
「それは初耳だ」
「え、ライルってば家でコーディア嬢とそういう話、しないの?」
ナイジェルは目をぱちくりとさせる。
「……」
ライルは手元のエールをぐいっと飲んだ。
コーディアがデインズデール侯爵家に身を寄せるようになってから約三週間。会話らしい会話は特にない。というか二人の距離は初対面の頃からあまり変わりがない。
ライルの沈黙を正しく理解した友人は同じくグラスの中身をぐいっと飲み干し、給仕に新しい物を注文した。
ナイジェルはライルの肩にぽんっと手を置いた。
「きみね、もっと自分からぐいぐいいかないと駄目だよ。可愛い婚約者は、ずっとジュナーガルの租界で暮らしていたんだろう? きっとこっちにやってきて寂しい想いをしているはずだよ。そういうときにそっと慰めてやるのが恋人の役目ってものだろう」
「……恋人ではない」
お互いに親が決めた婚約者という位置づけだ。もっと仲よくしようにも現在ライルは絶賛空回り中だし、失敗ばかりである。
相変わらずコーディアからは一歩も二歩も距離を置かれていてライルはめげているのである。
「ああもう、駄目だよ。たとえ親同士が決めた相手でも好きになる努力をしないと。僕はアメリカのことが大好きだよ。あのつんと澄ました顔がさ、僕の前でだけ色々と変わるんだ。可愛いよ、本当に」
臆面なく惚気るナイジェルのことは放っておくことにしてライルは昨日のことを考えた。
本音を言えばコーディアとは仲良くなりたいと思っている。これから夫婦になるのだ。二人で招待される催し物だって増えるし、一応ライルにだって理想の夫婦の形というものがある。父のように母を溺愛、とまではいかなくても結婚する女性のことは大事にしたいし、自分にも多少なり好意は持ってもらいたい。
ライルはコーディアの深い青色の瞳を思い出す。吸い込まれそうな深い青色をした神秘の色。宝石のような美しい瞳を持った少女。
あの瞳にもっと自分を映してほしいと思う。
けれど現実は難しい。
昨日、ライルは図書室でコーディアの姿を見つけた。彼女の方が先に図書室で本をさがしていたのだ。
思いがけず二人きりになり、ライルは何か話しかけないと、と考えた。
『探し物か?』
そうライルが尋ねると、ライルの入室に気づいていなかった彼女は『ひっ』と小さく悲鳴を上げた。ライルは地味に傷ついた。
そこまで忌諱しなくてもよいだろうと。
実際は眉根を寄せただけだが、それがよくなかったのか、コーディアは一歩足を後ろに引いた。
『それで、何を探しているんだ?』
ライルは今度ももう少し丁寧に聞くことにした。ここでくじけていては駄目だと鼓舞したのだ。
『えっと……その……』
『きみはもう少し、自分の意見をちゃんと伝えた方がいい』
ライルはつい教師のようなことを口にしてしまった。
コーディアは目に見えて狼狽した。視線を左右に動かしてから、観念したように『詩集を探していました』と答えた。
『誰の?』
『ワーナーワースです』
確かここ数年で頭角を現した詩人だ。
『おそらくここには無いだろう。母を詩集はあまり読まないんだ。そのくせ大衆娯楽小説ばかり読む』
『そう、なんですか……』
ライルが母の趣味について一言交えた言葉を告げるとコーディアがしょんぼりと肩を落とした。
別にコーディアを咎めたわけではない。
ライルは学生時代からの友人、ナイジェルに誘われて会員制クラブへ向かった。
主に上流階級の紳士を顧客とする店である。
紹介制高級クラブの店内は薄暗く、カウンター席やホール中央のテーブル席、壁際のボックス席に分かれている。そろそろ日も暮れる頃合いで、フロア内には少なくない客たちがそれぞれ談笑している。
奥には個室もあるが、個室に行くほど秘密めいた話をするわけでもないし、女性を同伴しているわけでもない。
二人はボックス席に陣取った。
最初の酒を酌み交わすとナイジェルが陽気に口を開いた。
「それで、婚約者との同居生活はどうだい?」
ライルの婚約が決まったという話はケイヴォンに残っている上流階級に知れ渡っている。連日にわたって母エイリッシュがコーディアを連れまわしているのだ。
ナイジェルは赤味がかった金髪をはらった。昔から自分がよく見える仕草というものをわかっている男であるが、男女ともに分け隔てなく明るく接する性格のため嫌味に映らないのが彼の持って生まれた人柄だ。
「別に。どうにも」
ライルはそっけなく答えた。
特にこれといったこともない。ただ、自分の役目を全うするために結婚する、……それだけだ。
「可愛いって評判だと聞いているよ。そんな婚約者を捕まえておいて、別にって……」
「どうしてナイジェルがコーディアのことを知っているんだ?」
「僕の妻がきみの婚約者嬢と仲良くしているからね」
ライルは一時自分の婚約者候補にも名前が挙がった令嬢を思い浮かべる。
アメリカ・コールデッド(現在はナイジェルの妻のためリデル姓だが)。彼女の家もまた、八十年前の爵位はく奪事件から難を逃れた家系だ。アメリカはそつのない性格をしている。きっと租界帰りでこちらに慣れないコーディアのことをさりげなく手助けしているのだろう。
「それは初耳だ」
「え、ライルってば家でコーディア嬢とそういう話、しないの?」
ナイジェルは目をぱちくりとさせる。
「……」
ライルは手元のエールをぐいっと飲んだ。
コーディアがデインズデール侯爵家に身を寄せるようになってから約三週間。会話らしい会話は特にない。というか二人の距離は初対面の頃からあまり変わりがない。
ライルの沈黙を正しく理解した友人は同じくグラスの中身をぐいっと飲み干し、給仕に新しい物を注文した。
ナイジェルはライルの肩にぽんっと手を置いた。
「きみね、もっと自分からぐいぐいいかないと駄目だよ。可愛い婚約者は、ずっとジュナーガルの租界で暮らしていたんだろう? きっとこっちにやってきて寂しい想いをしているはずだよ。そういうときにそっと慰めてやるのが恋人の役目ってものだろう」
「……恋人ではない」
お互いに親が決めた婚約者という位置づけだ。もっと仲よくしようにも現在ライルは絶賛空回り中だし、失敗ばかりである。
相変わらずコーディアからは一歩も二歩も距離を置かれていてライルはめげているのである。
「ああもう、駄目だよ。たとえ親同士が決めた相手でも好きになる努力をしないと。僕はアメリカのことが大好きだよ。あのつんと澄ました顔がさ、僕の前でだけ色々と変わるんだ。可愛いよ、本当に」
臆面なく惚気るナイジェルのことは放っておくことにしてライルは昨日のことを考えた。
本音を言えばコーディアとは仲良くなりたいと思っている。これから夫婦になるのだ。二人で招待される催し物だって増えるし、一応ライルにだって理想の夫婦の形というものがある。父のように母を溺愛、とまではいかなくても結婚する女性のことは大事にしたいし、自分にも多少なり好意は持ってもらいたい。
ライルはコーディアの深い青色の瞳を思い出す。吸い込まれそうな深い青色をした神秘の色。宝石のような美しい瞳を持った少女。
あの瞳にもっと自分を映してほしいと思う。
けれど現実は難しい。
昨日、ライルは図書室でコーディアの姿を見つけた。彼女の方が先に図書室で本をさがしていたのだ。
思いがけず二人きりになり、ライルは何か話しかけないと、と考えた。
『探し物か?』
そうライルが尋ねると、ライルの入室に気づいていなかった彼女は『ひっ』と小さく悲鳴を上げた。ライルは地味に傷ついた。
そこまで忌諱しなくてもよいだろうと。
実際は眉根を寄せただけだが、それがよくなかったのか、コーディアは一歩足を後ろに引いた。
『それで、何を探しているんだ?』
ライルは今度ももう少し丁寧に聞くことにした。ここでくじけていては駄目だと鼓舞したのだ。
『えっと……その……』
『きみはもう少し、自分の意見をちゃんと伝えた方がいい』
ライルはつい教師のようなことを口にしてしまった。
コーディアは目に見えて狼狽した。視線を左右に動かしてから、観念したように『詩集を探していました』と答えた。
『誰の?』
『ワーナーワースです』
確かここ数年で頭角を現した詩人だ。
『おそらくここには無いだろう。母を詩集はあまり読まないんだ。そのくせ大衆娯楽小説ばかり読む』
『そう、なんですか……』
ライルが母の趣味について一言交えた言葉を告げるとコーディアがしょんぼりと肩を落とした。
別にコーディアを咎めたわけではない。