侯爵家婚約物語 ~祖国で出会った婚約者と不器用な恋をはじめます~
 ライルが名前を呼ぶと、コーディアがライルを見上げた。深い青色の瞳が少しだけ揺れている。

「今度、一緒に百貨店へ行かないか? 一度行きたいと言っていただろう。その……この間は頭ごなしに否定をして、すまなかった」
 ライルはゆっくりと、彼女の目を見て話した。
 コーディアの瞳が陰った。

「で、でも……」

「私はきみに早く貴族の生活というものを知ってほしかったが……、まずはきみがこの街を好きになってもらうのが先だと思い直した」

 ライルはコーディアから拒否の言葉を聞きたくなくて言葉を被せた。どうにか、もう一度機会が欲しい。ライルは祈る様な気持ちでコーディアに視線を注いだ。
 少し間をおいて、「少し考えさせてください」という返事が返ってきた。
 すぐに了承を貰えなかったことに肩を落としたが、待つと答えた。



 翌朝、ライルはコーディアから「ご一緒させてください」と返事をもらった。
 これで第一関門突破である。
 もう一度、コーディアとの関係を作り直すことができたら。
 今度こそコーディアから笑顔を引き出すことができるだろうか。

◇◇◇

 ステイル広場はケイヴォン中心部に位置する屋内市場だ。市場といっても売っている物は食べ物ではなく雑貨や古い物が中心のなんでも市である。屋内とはいえ四方を塞がれた完全な屋内ではない。屋根がついているだけで入り口などはない。
 馬車は市場近くの通りにつけられ、ライルは先に降りてコーディアに手を差し伸べた。

 コーディアは少し躊躇した後、思い切ったようにライルの手に自身のそれを置いた。ほんの少しだけ負荷が手のひらにかかる。小さな手のひらだ。
 ライルはそのまま彼女の手を握ったまま歩き出した。
 コーディアの戸惑った様子が伝わってきた。

「この辺りは人通りが多い。迷子になってもいけないから我慢してほしい」

 あたりを行き交うのは着古した上着を羽織る労働者階級の男や前掛けをつけたまま外出をする夫人などである。
 周囲を見渡したコーディアはライルの言いたいことを理解したのか何も言ってはこなかった。

 ライルは内心ほっと息をつきコーディアを連れて歩き出す。
 あらかじめエイブに調べさせていたので周囲の地図は頭に入れてある。
 市場の中は外以上に人であふれていた。
 ライルは眉を顰めた。
 客のほとんどが男だ。こんなところに小さなコーディアを連れて入っても大丈夫なのか。

 しかし今日一日はコーディアの希望を第一に考えることを心に誓っている。だったらライルがコーディアを守るだけだ。
 人がひしめき合った市場の内部に足を踏み入れたライルは通行人とぶつかりそうになったコーディアを自身の方に引き寄せ、そのまま彼女の背中に腕をまわした。

「ひゃっ」

 コーディアが小さく悲鳴を上げた。
 体が強張ったのが腕に伝わってきた。しかし、人ごみに紛れてコーディアに不埒な真似を働こうとする輩がいないとも限らない。

「この人込みだと互いにはぐれてしまう危険性がある。少し不自由だが我慢してほしい」
「え、ええと。ちょっと近いような、……いえ、なんでもないです」
 顔を赤くしたコーディアだったが、すぐに人の多さに観念したようだ。
「どっちの方向に進みたい?」
「ええと……あ、あのお店可愛い」

 コーディアはあたりを見渡した。彼女の言う店はガラス製品を扱っている古物商だった。
 人ごみをかき分け目当ての店に進む。

 コーディアは興味深そうに広げられた商品を覗き込む。インデルク製品ではない、異国の香水瓶を扱う店である。
 大きさもまちまちなそれらをコーディアは珍しそうに眺めている。

「お嬢さん、これはだいたい四十年位前にリズデア国で作られた香水瓶で、ほら、ここの金色の着色が特徴的なんだ」
 店主の男が手前側にあった品物をひょいとつかみ、説明をする。
「コーディア、ほしいか?」
「ええと……」

 コーディアは言葉を詰まらせる。
 男二人からいっぺんに言われて戸惑っているらしい。
 彼女が口下手なのは知っている。

「店主、まだ市場に到着したばかりだ。他の店も見て考える」
 ライルがそう言うと店主は「またよろしく」というあっさりした返事が返ってきた。
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