侯爵家婚約物語 ~祖国で出会った婚約者と不器用な恋をはじめます~
◇◇◇

 コーディアが次に気が付いたとき、彼女は馬車に揺られているところだった。
 ガタガタと車輪が走る振動が体に伝わってくる。コーディアは馬車の上に横たえられていた。座席からひんやりとした冷気がただよってくる。コーディアは外套を羽織っておらず、マックギニス侯爵家を訪れたときのドレス姿のままだった。

「ああ、薬の量が少なかったか」

 コーディアは自分の身に何が起きたのか把握しきれなくて、とりあえず体を動かそうとしたが自由がきかなくて焦燥感に駆られる。
 馬車の中には角灯が設えられてあり、室内をぼんやりと照らしている。角灯の明かりが必要になるくらい外は暗いということだ。一体どれくらいの時間が経過しているのだろう。
車内にはコーディアともう一人。ローガンが足を組んで座っている。

「暴れられたら面倒だからね。一応拘束させてもらっているよ。腕と足。僕はほら、優雅な身の上で育ったから荒事は苦手なんだ」

 おまけに口には布巾を押し込められ声が出せないようになっている。
 コーディアは正面に座るローガンを精一杯睨みつけた。でないと怖くて涙がこぼれてしまいそうだったから。
 この男の前でそんな姿を見せたくなかった。
 ローガンはコーディアの抗議の視線に鼻で笑っただけだった。
 コーディアは意識を失う寸前のことを思い出す。たしか、屋敷の使用人が入ってきて、コーディアは薬品の香りを嗅がされた。ほどなくして意識を手放した。
 そうして気が付いたら馬車の中だった。

「きみはこれから病院に入るんだ」

(わたしどこも悪くない)
 コーディアの無言の訴えを遮るようにローガンは右手を軽く持ち上げた。

「わかっているよ、きみは健康体だ。しかし、きみは心神喪失をしていておまけに虚言癖がある。自分が貴族の傍流だと言いふらして、あげくの果てにはデインズデール侯爵家のライルの婚約者にまで収まってしまった。どこの誰かもわからない娘の幸運もこれまでだ。きみは、専用の病院で養生するんだ」

 ローガンの説明を受けたコーディアは恐怖で震えた。
 彼は真実がどうであろうとどうでもいいのだ。ただコーディアを偽物にしておきたいだけ。
 既成事実をつくって、世間から隔離をしておけばそれでよいのだろう。

「もちろん、きみの返事次第だ。ヘンリーだって、長年自分の娘だと思って育ててきた娘に情の一つでも沸いているだろうし。きみが自分のことを偽物だと認めたら面会くらいは許してあげるよ」

 おそらくローガンはヘンリーに対してはコーディアを盾に取るのだろう。
 コーディアの無事を願うなら言うとおりにしろ、と。
 それきりローガンは口を噤んでしまった。
 コーディアはこれからのことを考えると不安になる。
 どうにかして逃げることを考えないと。

 しかし、病院から逃げ出してもコーディアには土地勘がない。そもそも連れて行かれる先がケイヴォン市内かどうかもわからない。
 馬車はコーディアの心情とは裏腹に馬車は止まることもなく軽快に道を進んで行く。一定の速さということはもしかしたら田舎道なのかもしれない。

 コーディアはますます怖くなる。
 大した抵抗もできないまま馬車はやがてスピードを緩めた。
 目的地が近いのだろうか。寝かされているため窓の外をうかがい知ることはできなかった。

「さあついたよ。ここが今日からきみの新しい家だ」

 ローガンは楽しそうに笑った。
 コーディアはぞくりと粟立った。
 馬車は停車をしたが、扉はなかなか開かない。
 ローガンは次第に苛立ちを増していったが、自分から開くという発想はないようだ。

「ちゃんと連絡を入れておけといっておいたのに。仕えない奴め」

 もしかしたら病院に連絡がいっていなかったのかもしれない。外からは男性たちの声が聞こえてくる。どうやら意見の相違があるようで、談笑しているという気配ではなかった。
 コーディアが馬車の外に神経を集中させていると、やにわに扉が開いた。

「おい、驚かすな」
 ローガンが開口一番に文句を言う。
 なんとなく察していたが、彼は使用人にも当たりが強いようだ。

「驚かせたのならなにより、だ。我が甥っ子殿。娘を返してもらおうか」
 聞こえてきたのは、仕事で飛び回っているはずの父の声だった。

(お父様……どうしてここに)
 コーディアはどうにかして身を起こそうと体を動かす。
 が、うまくいかない。

「おまえ、ヘンリー! どうしてここに」
「話は出てきた後だ」
 ヘンリーはそう言うと、車内から素早くローガンを掴みだす。
 ローガンとヘンリーを比べるとヘンリーの方が体躯はしっかりしているのだ。
「おまえ、僕に向かって何をするんだ! いくら叔父とはいえ僕は次期マックギニス侯爵だぞ!」
 馬車の外に強制的に出されたローガンの喚き声が聞こえてきた。

「大丈夫か、コーディア!」
 続いて車内に入ってきたのがライルでコーディアは心底安堵した。

 もう大丈夫だと思った。
 ライルが来てくれたから安心できる。コーディアは自分の体から力が抜けていくのを感じた。
 ライルは素早くコーディアの拘束を解いていって、コーディアを横抱きにして馬車から降り立った。

「言いたいことは色々とあるが、今はきみが無事でよかった」

 前半の部分で、コーディアは黙って屋敷を抜け出したことに関してライルが相当に怒っていることを察した。
 たしかに、一言相談はするべきだったと思う。けれど、相談したら絶対に、きみは何も心配する必要はないと言うはずだ。
 わたしだって、当事者なのに。あなたと一緒に考えたいし自分のことだから自分でどうにかしたいと言いたい。

「ご、ごめんなさい」
 しかし、彼の声があまりにも頼りなくて、本当にコーディアの身を案じていることがわかってしまったので、コーディアの口から言い訳が出ることは無くて。
 代わりに出たのは心配をかけたことに対する謝罪の言葉だった。

「くしゅんっ」
 コーディアは空気の冷たさにくしゃみをする。そして今更ながらに体が震えてくる。馬車の中でもずっと冷気を感じていたのだ。

 ライルの傍らに控えていたメイヤーが大きな肩掛けをコーディアにかけてくれる。相変わらず横抱きにかかえられていて、くしゃみをしたあと、ライルはコーディアを守る様に自身の胸に押しつけた。
触れ合った場所からじんわりと彼の体温が伝わってきて、コーディアは顔を赤くする。
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