かりそめお見合い事情~身代わりのはずが、艶夜に心も体も奪われました~
何となく悔しい思いに駆られ、無意識に涙の浮いていた目をついうらめしく向けつつバッグに手を伸ばした。

バイブの音はもう止んでいたけれど、スマートフォンを取り出してディスプレイを確認してみる。

奥宮さんの言った通り、先ほどの振動は電話の着信を知らせるものだった。表示されていたのはくれはの名前で、私はとっさにまた電源ボタンを押し画面を暗くする。


「大丈夫だった?」
「あ……はい。家族から、でした」


嘘は言っていない。だけど、答える声が少しこわばった。

私のそんな変化に気づいているのかそうでないのか、奥宮さんはその整った顔に苦笑を浮かべる。


「あまり遅くなると心配するよね。行こうか」
「……はい」


当然のようにしっかり握った手を引かれ、当然のように近い距離で並んで歩き出す。

奥宮さんは、私たちの関係性についてそれ以上ハッキリ言及することはなくて。
ありがたく思いながら、それでも胸の奥で勝手に寂しさも覚える自分にうんざりしてしまう。


結局この夜も、自宅に送り届けてくれるという奥宮さんの申し出を断って駅で別れた。
けれど私はなんとなくくれはのことが気になり、電車ではなくタクシーを使うことにする。

【電話出られなくてごめん。何か用事だった?】と送ったメッセージには【帰ってから話す】とひとこと返信があった。

めずらしく絵文字ひとつもないその文章を見て、奥宮さんとのキスの余韻に浸る間もなく胸がざわつく。
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