ボーダーライン。Neo【中】

 そう言ってスッと出された檜の右手。

 あたしは見開いた丸い瞳でその手を見つめ、数回まばたきをする。

「台詞としてはチープだけど。幸せになれよ?」

 ーー嫌だ。さよならなんか、したくない。

 瞬時にそんな我儘な想いが込み上げるけれど。

 あたしは檜の手と、彼の表情を交互に見つめた。

 もう檜の中では、ちゃんと踏ん切りがついている。

 過去の事と割り切っているからこそ、今こんなにも、穏やかに笑っていられるんだ。

 唇が震え、不意に込み上げるものを感じた。

 それを押し止める為、頷きながら無理やり笑う。

「……ん。檜も」

 差し出されたその手を取り、あたしは檜と、多分初めてであろう、握手を交わした。

 男の子にしては爪の形が綺麗で、滑らかなこの手が好きだった。

 愛情深い茶色い眼差しが好きだった。

 空気によく通る甘い響きで、あたしを呼ぶ声が好きだった。

 クシャッと表情(かお)を崩して笑う仕草も、悪ぶってあかんべをする仕草も、何もかもに惹かれていた。

 こんなに好きになれた人は檜だけだった。結婚の事で辛く思い煩ったのも、檜だけ。

 整った顔立ちも、心地の良いキスも、愛し合った後に抱き締めてくれる腕の温もりも、全部、全部、大好きだったよ。

 記憶の中の彼を一つ一つ掬い上げると、感情が高ぶり、目に涙の幕が張る。
< 146 / 284 >

この作品をシェア

pagetop