水曜の夜にさよならを
「ちょっと外でない?」
「この顔で? 無理。すっぴんだよ」

「美晴はそのままでも可愛い」
 それを聞いて呆然としてしまった。わたしの知っている樹は、そういう冗談を言うやつじゃなかったのだ。

「引かないでくれる? おれもかなり恥ずかしいことを言ってる自覚があるので」
 樹は額に手をかざして目元を隠し、俯いた。そうしている間にいつものポーカーフェイスに戻そうと、唇をぎゅっと引き結んで。

 微妙な雰囲気のわたしたちの足元で、ムギがひと鳴きした。樹はムギの頭に手を伸ばす。その優しい眼差しに、過去の記憶が蘇ってくる。

 中三の夏、塾の受付にダンボール箱を置き、声を張り上げていたわたしに、名前も知らない男子が近付いてきた。彼は何も言わずに箱の中に手を入れて、仔猫たちの頭を撫でていた。

そのときの優しい目を見て「この人いいなあ」と、彼のことを何も知らないにもかかわらず、惹かれていたのを思い出す。

 ねこの会という縛りでそういう気持ちをかき消していただけで、わたしは初めから樹のことを、どこか特別に感じていたのかもしれない。

 樹は何を考えているのだろう。可愛いと言ったのは、猫に対する気持ちと同じ? それとも。
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