アフター5はメガネをはずして
銀座の駅周辺にある大通りは網の目のようにわかりやすく道路が通っている。
だから、ある程度は迷うこともなく、方角さえ間違えなければ目的地へとたどり着くことができる。
私は人と人との間を縫うように歩き、あかりさんのお店「アルデバラン」がテナントとして入っているビルへと、約束の時間10分前に到着した。
不景気とはいえ、さすが銀座だ。
金曜日の夜はどのお店も書き入れ時らしく、まだこの界隈にあるお店はオープン前の時間帯だというのに、人で溢れている。
「……正面玄関から入っていいのかな」
一見、高級ホテルと見紛うほどの、きらびやかでエレガントなビル。
恐る恐るエントランスに入り、エレベーターの▲ボタンを押す。
この時点で、すでに場違い感が半端ない。
私はやってきたエレベーターに飛び乗ると、人目を避けるように急いで閉のボタンを押した。
「はあ……」
閉まる扉を見届けてから、震える指で3階のボタンを押し、大きなため息をつく。
エレベーターの中が無人で本当によかったと思う。
仕事帰りのOL丸わかりの地味な格好が、急に恥ずかしくなってしまった。
こんな状態で誰かと乗り合わせるなんて、気が気じゃなかったに違いない。
そんな動揺をなだめる暇もなく、エレベーターはスムーズに3階に到着した。
私は開いたエレベーターの扉からそーっと顔を出して、あたりに人がいないことを確認する。
(誰もいない! よかった!)
3階のフロアにはあかりさんのお店の他に、もう1軒テナントが入っているようだった。
まだエレベーターホールの段階だというのに、すでにもう豪華な花がそこかしこに飾られていて、いっそ怯えてしまう。
「こんな毛足の長い絨毯を、土足で歩くなんて……」
フカフカの高級絨毯の上を、なるべく汚さないようにつま先歩きでヨロヨロと進み、店のドアらしき前に立つ。
重厚な飴色をした木製のそれに、「アルデバラン」と店の名前を掲げる、金色のプレートが光っていた。
この先に、私が踏み込む、新たなる世界が広がっているのだ。
庶民の生活を送ってきた私に、果たしてうまくヘルプが務まるだろうか?
実際、まだお店の中に入ってもいないのに、雰囲気だけで圧倒されてしまっている。
(こわいこわいこわいこわいこわいこわい!)
でも、ここまできて逃げるわけにはいかない。
私はバッグからスマホを取り出すと、事前に教えてもらっていたあかりさんの電話番号に電話をかけた。
「も、もしもし……」
「麦ちゃん! どうしたの?」
たったの2コールであかりさんと電話が繋がる。
親切なあかりさんのことだ。
スマホを眺めながら今か今かと、私が来るのを待っていてくれていたのだろう。
「じ、実は、お店の前まできてるんですけど」
「まぁ、そうなの! ちょっと待ってね!」
「あ、はい。お、お店にはどこから入ればいいんですか?」
弾んだあかりさんの声の後、ガタガタと鳴った大きな音を最後に、会話が途絶えた。
突然スマホが応答をやめて、ドッと不安が押し寄せる。
通勤用のグレーのスカートをギュッと握りしめ、沈黙したままのスマホに引き続き話しかける。
「あの、あか……あかりさん?」
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