ニセモノの白い椿【完結】
「いいから、静かにして言うこと聞いて」
私の手首を掴み、そして私の手を包むように木村の手のひらが添えられる。
水道水から流れる冷たい水が私を冷静にさせようとするのに、吐息さえ感じられる距離感がそれをすぐに意味ないものにしてしまう。
無理矢理に、水の流れて行く音に神経を集中させる。
そうでもしていないと、おかしなことを言ってしまいそうになるからだ。
ホントに、いい年した大人がこんなことくらいでこんなにあたふたとするなんて。
考えてみれば、自分から誰かのことを好きになるのは初めてかもしれない。
こんな風に片想いをしたことなんて――、ない。
31歳にして、初片想い。そりゃあ、あたふたするのも仕方がないか。
恋愛スキルだけは中学生レベルで止まっていた。
恋というのは不思議なもので。一度意識してしまったら、アクセル踏みっぱなし状態のように、加速度的にその想いが大きくなるものらしい。
この私が少女みたいな気分になって、自分でも呆れる。
「――さあ、絆創膏を張ろうか」
「あ、は、はい」
言われるがままになる。
本当に私、一体誰よ――。
清楚に見える演技はいやというほどにしてきた。でも、こんな風に自然としおらしくなることなんて一度もなかったのに。
「……これで、よし」
ソファに座らされて、静かに言うことを聞いていた。
絆創膏を貼り終えて、私の指から木村の手が離れて行く。そのことに名残惜しさと寂しさを感じて。惚れた男に触れられるだけで、緊張して胸を激しく鼓動させ、そしてその体温に胸を熱くする。
「傷口はそんなに大きくないから、これで大丈夫だと思う」
「……ありがとう」
私が素直に礼を言うと、ふっと木村が笑った。
「どうしたの、そんなにしおらしくなって。らしくないな」
「べ、別に。手当してもらってるんだから、静かにしているのは当たり前でしょ」
「そう? よく見てみてれば、なんだか耳まで赤いみたいだけど……」
すぐ隣に座る木村が私を覗き込んで来るから、咄嗟に立ち上がった。
「バカなこと言わないで。年上をからかうんじゃないわよ」
「はいはい。冗談です。生田さんが俺に触れられたからって赤くなったりするはずないもんな」
背後で笑う木村の声が、また胸に痛みを与える。
誰かを好きだという気持ちって、こんなにいちいち胸が痛くなるものだったんだ。
元夫とは、交際期間から結婚生活が破綻するまでの間は、胸に痛みなんて感じたことはなかった。それは愛されているということが前提にあったからなのだろうか。
でも、この胸の痛みを感じることさえ、残りわずかなこと――。
そう思うと、より大きな痛みが私を襲った。