ニセモノの白い椿【完結】


「夕飯付き合って」と言われて連れて来られたところは、思い出すのも忌まわしい、あのバーだった。

「――あの……、夕飯なんじゃないんですか? どうして、ここ?」

木村の後ろで声ををあげる。

「マスターの作る裏メニューのパスタ、最高に美味しいんだよ」

裏メニューって、何?

と、疑問に思っている間にも、「どーも」と軽い口調で、カウンターの向こうにいるマスターらしき男性に木村が手をあげていた。

「木村さん、いらっしゃい。ああ、この前のお客様もご一緒で……いらっしゃいませ」

あの日と同じように、紳士的な笑顔が私に向けられた。

「ど、どうも。先日は大変なご迷惑を……」

この人にも醜態をさらしていることになる。そのことに気付くと、とんでもなくいたたまれない場所に連れて来られたものだと思う。

心の中で、ちっと舌打ちする。

「マスター、奥の席座らせてもらうね」

「どうぞ」

迷うことなく店の奥のテーブル席に座った木村の向かいに、仕方なく腰掛ける。
非常に、落ち着かない。この店を選んだ木村に、何の意図があってのことかと、苛立ちが込み上げて来る。

「――どうして、わざわざここに? 私に、あの日の恥ずかしい姿を思い出せって言いたいの?」

声を潜めて抗議する。

「あなたって、いちいち物事を歪曲して受け止めるよね。ここは、俺がよく来る一番落ち着く店。だから、来た。分かった?」

木村は呆れたように溜息を吐くと、猫かぶり黒縁眼鏡を外し、鞄にしまい出した。

ここからは、オフってことですか――。

「よく来るって……銀行の人、来ないですよね?」

「なんで、そんなこと聞くの」

白石さんの言っていたことを思い出して、警戒する。

「木村さん、頭取の息子だって聞きました。あなた、凄い人だったんですね。銀行内では注目されてるから、何をやっても人目に付くそうですよ。そんな人と二人でバーなんかにいるところ見られたら、面倒だから嫌なんですけど」

これから働いていく場所で、面倒なことに巻き込まれるのも、いらぬ勘ぐりをされるのも御免だ。

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