ニセモノの白い椿【完結】
「とりあえず、カンパーイ」
半ば強引に私のグラスに自分のグラスを合わせて来る。
「そんなに怖い顔をしないで。せっかくの綺麗な顔が台無しだよ。大丈夫。あんな無茶な飲み方をしなければいいだけのことだ。俺がちゃんと、飲み過ぎないように見ているから」
そのどこまでも軽い口調に、気を張り詰めている自分が次第にバカバカしくなって来た。
「――それにしても、木村さん。職場と、あまりに雰囲気が違い過ぎませんか? 一応私も職場の人間だと思うのですが、私にはそんな姿見せていいんですか?」
投げやりにそう言っておく。
「とりあえず、その敬語やめようか。俺、生田さんより年下だし」
ビールを一口飲んでから、木村が私に視線を向けて来た。
「――え? なんで、そんなこと」
「あの日、31歳の誕生日だったんでしょう? 最悪な誕生日だと騒いでいたし。俺は、今年29歳になる予定の年下の男で―す」
私、そんなことまで言っていたんだ――。
「だったら、そっちが敬語使うべきじゃ?」
「出会いがあれだし、今更そういうのいいでしょ。それより、なんだっけ。『私も職場の人間なのにそんな姿見せていんですか』だっけ?」
私の言うことなんて大して気に留めるようすもなく、勝手に話を進めて行く。
何もかも木村のペースだ。
「生田さんなら構わないよ。だって、絶対に俺のこと好きにならないでしょう?」
「……え?」
肘をついてグラスを手にした木村が私を見る。
「男はまっぴらだ。恋だの愛だのくそくらえ。銀行員なんて、もっとくそくらえ」
木村が突然そんなことを言い出した。
「は?」
「あの日、あなたが酔って言っていた言葉。それに。現に今も、生田さん、俺が男だっていう意識ないでしょ。一緒のベッドで寝た仲なのに!」
そう言って、心底おかしそうに木村が笑う。
「だから、生田さんには警戒する必要がないんだ」
「大抵の女は自分に惚れるだろうっていう、あなたの前提がそもそもおかしいけど。でも、確かに、私に関してはその心配はまったく必要ないね」
そんな木村を見ていたら、私もつられて笑ってしまった。
目の前の男は、同じベッドで寝た人だ。意識してもおかしくはないはずなのに。
自己嫌悪と自分のしたことの恐ろしさは感じたけれど、男として意識はしなかった。
ただ、私の平穏な生活を脅かす存在、そんな感じだ。
はっきり言って、今の私に異性を意識するような精神的余裕なんてない。
「でも、あなたも相当のものだよね。職場での姿、あれ、一体なんなの。完全なる別人だよ。俺以外、みんな騙されてるよね。職場でのあなたは”美しく控えめな大人の女性”って感じで。ここで大暴れした姿なんて想像もできない」
大暴れって……。私は一体、どれだけ本性を曝け出したのだろう。
あまりの恥ずかしさに考えたくもなかったけれど、どこか楽し気な木村を前に、私も身構えていた心が緩んで行った。
「――だからこそ、職場で木村さんを見た時、血の気が引いたの。私のそういう姿知ってるの、家族だけだったんだから。友人にすら見せたことない」
唯一の例外は、実家に遊びに来た眞の彼女、沙都ちゃんだけ。
裏の私を知っているから、彼女には心を許せるんだろう。
手にしていた冷えたグラスの冷たさが指を通して身体に伝わり、気持ちいい。
グラスをそのまま口に運んだ。
「家族だけって、本当に? どれだけ鉄壁なんだよ」
そう言って笑った後、木村が少し真面目な表情になって私を真っ直ぐに見て来た。