ニセモノの白い椿【完結】
勤務を終えて職場を出ると、五月の気持ちの良い風が私の頬を掠めた。
ふと空を見上げると、街路樹の緑が視界に入る。
いつの間にか、こんなに明るい季節になっていたんだ。
あまりに自分の周りが目まぐるしく変化して、生きて行くのに必要なこと以外を感じる心の余裕がなかった。
太陽は沈みかけているのに、新緑の緑がまだ輝いているように見える。
ここの街路樹、こんなに綺麗だったんだな……。
「――生田さんっ!」
ぎょっ――。
久しぶりに自然のきらめきに視線を奪われていたというのに、聞くだけで身構えてしまう声が耳に届いた。
「今、帰りですか?」
「え、ええ、立科さんは――」
「外回りから帰って来たところです!」
少し身を引き気味の私に構わず、言葉をかぶせてくる。
この押しの強さが、今の私には鬱陶しい以外の何ものでもない。
「俺も、これから帰れるんですが、一緒にご飯でも――」
「え、いえっ。これから寄らなくてはならないところがあるので」
咄嗟に嘘をつく。
「前にもそう言われました。いつなら、お時間あります?」
あの気まずい食事会から、立科さんは私に敬語を使うようになった。
それならそれで、それなりの距離も取ってもらいたいのだけれど、むしろ以前より押しが強くなって来た気がするのは、気のせいだと思いたい。
ああ、面倒だ。これだけ断り続けているのだ。大人なんだから、察してよ。
こっちだって、事を穏便に済ませたいのだ。
はっきり白黒つけない方がいいことだってある。
「すみません。ちょっと、いつとはお約束できなくて。本当にごめんなさい」
「――生田さんが俺の誘いに乗ってくれないのは、もしかして」
ち、近いって――!
立科さんが一歩も二歩も私へと近付き、少し腰をかがめて私と視線を合わせて来た。
しっかりめの眉ばかりに視線が行ってしまう。
それは、立科さんがあまりに強い目力で私を見て来たからだ。
そのくせして、その次の句を発しようとしない。
『もしかして』何なのよ。
聞き返そうとしたところで、立科さんが口を開いた。
「木村が原因ですか?」
「はい?」
”木村”という固有名詞を口にしたときの立科さんの表情が目に焼き付く。
口にするのも嫌だということがまざまざと現れた歪んだ顔だった。