ニセモノの白い椿【完結】
いとも簡単に、あの日の恐怖が蘇って来る。
その記憶と共に、今は全然関係のない場所にいるのに身体まで震えるのだから不思議だ。
それでも、早く再配達してもらわなければ実家に送り返されてしまう。
次の日。アパートに戻ることにした。
ただ不在者通知を取りに帰るだけーー。
あの時より、日は伸びている。
仕事帰りにすぐに行けばまだ真っ暗にはならないはずだ。
それに、あれから半月以上が経っている。
その間、一度もアパートには帰っていない。
さすがに、あの男ももう待ち伏せしていたりはしないだろう。
そう自分に言い聞かせ、一人でアパートへと向かった。
夕飯を作ることが出来ないので、とりあえずそのことと共にちらっと木村にメールで知らせておいた。
先月までは住んでいた場所なのに、既に懐かしさを感じている。
木村のマンションは私の家じゃない。ただの仮住まいだ。
もう、あの家が自分の家のような気がして来る。
まだ太陽の明かりが空には残っている。
でも、あと少しで夜がやって来る気配が漂っているから、足早にアパートへと向かった。
周囲を気にしながら慎重に歩く。
あと少し、
あの角を曲がれば、アパートが見える――。
その時だった。
「――どうして、いなくなったの? 君に会えなくて寂しかったんだから」
背後から聞こえた、見知らぬ声。
身体が金縛りにあったみたいに膠着する。
どうして――。
初めて聞く男の声に、身体がただ冷たくなって行く。
声をあげたいのに、まったく声が出ない。
背後から声だけが届く。
怖くて後ろを振り返ることができない。
「君みたいな綺麗な人、毎日でも見ていたいんだよ? 勝手にいなくなっちゃ、困るじゃないか――」
「や、やめてください」
かろうじて出た今にも消えそうな声は、呆気なくかき消されて、腕を強く掴まれた。
あまりの強さに腕に食い込むように感じられる。
その恐怖が、一瞬にして身体を駆け巡る。
身体中が悲鳴を上げているのにそれが声にならない。
自分がどうなるのか、その恐怖に身が竦む。
助けて。
その時頭に浮かんでしまったのは、木村の顔だった。