溺愛全開、俺様ドクターは手離さない
目の前にあるフェンスを掴んで耐えた。

 色々なことが次々思い浮かんできた。誰よりも早く走ってテープを切った瞬間。笑顔で表彰式に出てメダルをもらったこと。

 仲間との練習や、コーチとの思い出。

 これから先のわたしの人生にはひとつもないもの――。

 いつまでも同じ日常が続いていくと疑っていなかった。こんなにもあっけなくなくなってしまうなんて。

『なあ、そこから飛び降りるの?』

『えっ?』

 急に聞こえてきた声に、思わず反応して振り返る。そこに立っていたのは見知らぬ若い男性だ。

『だから、飛び降りるのかって聞いてる』

『えっ? いいえ』

 そもそもそんなつもりなんてなかったのだ。だから素直にそう答えたが、男性はまだ疑っているようで、一歩一歩わたしに近づいてきた。

『だったらいいけど、こんなところで飛び降りでもされたら迷惑だからな』

『なっ、なに言ってるんですか?』

 悲しくて落ち込んでいるときに、どうしてこんな言われ方しなくちゃいけないの?

 ムッとしたわたしは相手を睨んだ。

『あなたには迷惑かけませんから、安心してください』

『だったら、さっさと病室に戻れば』

『そんなの、わたしの勝手じゃないですか。なんでそんなことあなたに言われなくちゃいけないんですか……走れなくなったって、命を落とすような怪我をしたわけじゃないんだからって、ちゃんとそう神様に感謝……かん……して』

 口にしたら、自分がどれだけ嘘を言っているのかと実感した。命が助かったことを喜ばなくてはいけないとわかっている。けれど到底神様に感謝する気持ちにはなれずにいた。

 男性はじっとわたしを見つめている。

『なんで我慢してるんだ。思い切り泣けよ』

『だって、みんな心配……するから』

 そう言いながらも、わたしの目には涙の膜が張っていた。
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