溺愛音感
「病める時も、健やかなる時も、死がふたりを分かつまで、と誓うだろう?」
「や、そ、そこまでしなくとも……」
「遠慮するな」
「し、してないっ」
「そうか? 残念だ」
ちっとも残念そうには見えない顔で言うマキくんは、チュッとわざとらしく音を立てて、わたしの唇にキスを落とす。
「いつでも、ハナがその気になった時に言え。婚姻届は既に準備済みだ」
「…………」
マキくんが本気だなんて自惚れたりはしないけれど、ちゃんとわたしの居場所を確保してくれようとする気持ちが、嬉しかった。
シャツを握りしめていた手を解き、背中に腕を回して力いっぱい抱きつく。
顔を埋めた胸は広く、暖かく、嗅ぎ慣れた匂いがして、ほっとしたらまた涙が出た。
「泣き切ってしまえ、ハナ。そうすれば、笑えるようになる」
大きな手がしゃくり上げる背中を擦り、頭を撫でてくれる。
世界中で一番安全な場所。
どこよりも安らげて、安心できる場所で、さんざん弱音を吐き、子どもの頃だってここまで泣いたことはないと思うくらい、泣いた。
十分、十五分なんてものではない。
少なく見積もっても三十分か、それ以上はずっと泣き続けた。
泣き止んだのは、不満を訴える身体の声を無視できなくなったからだ。
(泣きすぎて……頭、痛い……喉、乾いた……疲れた……って、うわぁっ!)
疲れ切って顔を上げ、青ざめた。
シルクだと思われるワイシャツとネクタイが、わたしの涙と鼻水でぐしょぐしょのドロドロになっている。
「ま、マキくん……。ワイシャツとネクタイ……ダメにしちゃったかも。ごめんなさい……」
「大した問題ではない。クリーニングに出せば元通りになる。泣いて、すっきりしたか? ハナ?」
「たぶん……」
和樹に会う、会わないの答えすら、まだ見つけられていないけれど、窮屈な場所にずっと閉じ込められていたものは解放された。
ズキズキとした胸の痛みは癒え、彼と会いたくないと思う気持ちも、薄れている。
次に会う時には、今夜のように頭ごなしに拒絶したりはしないだろう。
冷静に、落ち着いて話せる気がした。
「いくら時間をかけてもかまわない。アイツのことも、これからのことも、ハナのペースでゆっくり考えればいいんだ。ただし、アイツが強引に接触して来たときは、すぐに知らせろ」
「うん……」
「今日は、オケの練習でさんざん弾かされたんだろう? リクエスト分は明日でいい。シャワーをして、さっさと寝るぞ」
「うん……」