溺愛音感
やや沈んだマキくんの声音に、心臓が跳ねた。
「あら。もしかして、フラれたの? かわいそうに」
ちっとも同情しているようには聴こえない彼女の声に対し、マキくんは憮然とした低い声で反論する。
「フラれてはいない」
「プロポーズの返事待ち?」
「ちがう。そもそも……結婚できるような状況にはない」
「柾さんの仕事のせい? 『KOKONOE』の業績は右肩上がりでしょう?」
「優先順位の問題だ。どうしても捨てられない大事なものがあり、それを優先せざるを得ないなら、他のものは切り捨てるべきだ。いずれダメになるとわかっているのに、試す必要はないだろう?」
(やっぱり……)
どちらか一方を選ぶのではなくて、両方とも選びたいと言った言葉は、マキくんの心にちゃんと届いていないと知って、悔しくて、泣きそうになった。
目の縁に盛り上がった涙が、糊のきいた白いテーブルクロスの上に滴り落ちる。
項垂れ、灰色のシミを見つめる耳に、思いがけず手厳しい批判が聞こえてきた。
「柾さんの考えは、一見潔くて、固い信念があるように聞こえるけれど……わたしからしてみれば、ただの言い訳としか聞こえないわ」
「言い訳?」
「何の保証もない、自分と彼女の気持ちだけを頼りにして、未知の世界に踏み出すのが怖いだけでしょう?」
「怖いわけじゃない。リスクを回避するのは当然だろう」
「それならば、中途半端なことをしていないで、きれいさっぱり彼女の人生から姿を消したらどうかしら? いますぐに」
「…………」
「柾さんが、無理に自分の気持ちをねじ曲げて、諦めきれない恋に一生のたうち回るのは一向にかまわないけれど、彼女がくだらない男に縛りつけられる悲劇は見逃せないわ。才能ある人だから、なおさらに」
「くだらない……そこまで酷評しなくてもいいだろう」
俺様相手に、遠慮会釈なくポンポンものを言う「花梨」はすごいと感心してしまった。
あのマキくんが、タジタジだ。
「それはともかく……どうしてハナのことを知っている? いつ会ったんだ?」
「会っていないわよ? でも、このままだと、数日のうちに日本中の人間が彼女に会うことになるわね」
「いったい……」
「今日、ランチにお誘いしたのは、紹介してくださったお医者さまのおかげで、治療が進んでいると報告するためだったのだけれど……これをお知らせしたほうがいいかと思って」
何かを鞄から取り出すような物音がし、しばらくして押し殺した声が、日本語にはとてもできない内容の罵り言葉を呟くのが聞こえた。