溺愛音感
駅まで歩くのか、もしくはタクシーを使うのだろうと思いながらホテルのエントランスを出たら、黒塗りのセダンが停まっていて、しかも運転手らしき年配の男性がさっとドアを開けた。
「彼女と話をしたいから、適当に流してもらえるかしら?」
「かしこまりました」
(え。も、もしかして、運転手付きのマイカー……)
「どうぞ乗って」
「お、お邪魔します……?」
促されるまま、広い後部座席に収まる。
シートは本革。そして、ものすごく座り心地がよかった。
滑らかに車が進み出すなり、隣に座る本物のお嬢様らしき彼女がほっそりした手を差し出した。
「まだ、自己紹介もしていなかったわね? わたしは、西園寺花梨。仰々しい苗字で呼ばれるのは嫌いなの。どうぞ花梨と呼んでちょうだい。柾さんとは、古いお友だちなのよ」
差し出された手を軽く握る。
「わたしたちの会話が聞こえていたのなら、何が起きたのか気になっているわよね?」
「はい」
「これを見てもらったほうが話が早いわ」
差し出されたタブレットのディスプレイに映し出されたものに、思わず目を疑った。
目元にモザイクがかけられているけれど、路上演奏していた頃や「Hanna」だった頃、マキくんのマンションから出て来るところ、マキくんの車に乗っているところ。
わたしの過去と現在を写した写真がちりばめられた記事は、『大企業の若き取締役社長、落ちぶれたヴァイオリニストと同棲か!?』と見出しこそマキくんを指しているが、中身はほぼわたしについての中傷記事だった。
生い立ちから、ヴァイオリニストとしてプロデビューした経緯。和樹との婚約破棄。
いま現在は演奏活動を休止中で、無職であること。
母のコネでマキくんとお見合いし、現在同棲中だが元婚約者とも密会。
微妙に歪曲された「わたし」の人生が、好意的とは言い難い調子で書かれていた。
読んでいて気分のいいものではない。
けれど、客観的に見ればほぼ事実でもあった。
ある一点を除いては。