溺愛音感
「これは推測にすぎないけれど……彼女がこんなことをしてしまったのは、柾さんがあんなに遠ざけていた『結婚』を考えるほど、心からあなたを愛していて、彼女のものになる可能性はゼロなのだとわかったから。そうは考えられないかしら?」
「あ、の……でも、マキくんは、結婚はできないって……」
「したくないとは言わなかったわよ? もしかしたら、自分で自分の気持ちが思うようにならないなんて、彼にとって初めての経験なんじゃないかしら。いやだわ、三十五のオジサンが、初恋こじらせてるなんて」
くすくす笑いながら、花梨さんはマキくんを容赦なくこき下ろす。
「は、初恋……それはないかと……」
「あら、どうして? ああいう黙っていてもモテる人ほど、意外と自分自身については鈍感なものよ。気持ちを自覚する前に、相手からアクションを起こされるのがいつものことでしょうから」
(た、確かに……)
あの容姿で、御曹司だ。告白するより、される人生を歩んできただろう。
「彼の場合、言い寄られる前に、相手を牽制し、遠ざけていたけれど。遊びで済まない相手には、真摯な態度できちんとお断りしていたわ」
「そう、なんですか?」
てっきり、来る者拒まずで美女をとっかえひっかえしているのだと思っていた。
「いろいろと誤解されやすいけれど、情に厚くて信頼できる人よ。だから、お見合いが破談になっても、こうしてお友だちでいられるの」
「お見合い……」
さっきもちらりと聞いたけれど、こんな人との見合いを断るなんて彼は贅沢すぎるのでは? と思ってしまった。
花梨さんは、「わたしは、彼のような複雑な人を恋人にしたいなんてちっとも思わない」と肩を竦め、昔を懐かしむように目を細めた。
「彼とお見合いしたのは、もう十年ちかく前の話で……当時のわたしには結婚を考えている恋人がいたの。だから、顔だけ見たら、すぐに帰るつもりで臨んだのだけれど、面と向かって言われた言葉に興味が湧いて、つい話し込んでしまって」
「マキくん、どんなひどいこと言ったんですか?」
外では王子様モードだとしても、本質は俺様だ。
相手を思い遣ることなくバッサリ切って捨てそうだ。
しかし、告げられたのは、意外にも真面目な断りの言葉だった。
「自分は、結婚に向いていない。妻にも子どもにも、愛情を注ぐことはできないと思う。だから、誰とも結婚するつもりはない。そう言ったのよ。結婚したこともないのに断言するなんてびっくりして、思わずその根拠はどこにあるのか、なんて問い返してしまったわ」
家族を大事にしているマキくんが、そこまで「結婚」を避けるのは不自然だ。
年の離れた妹を溺愛するくらいなのだから、きっと子どもだって、嫌いじゃないはず。
(でも、そういえば……わたしが子どもがほしくても、それだけは叶えてやれないって……)
ずっとうやむやになっていたことの答えが見つかるかもしれないという期待が、俄かに湧き起こる。
「あのっ、マキくんはなんて?」
花梨さんの答えは、ひと言。
「鏡を見ればわかる」
「……鏡?」