捨てられたはずが、赤ちゃんごと極上御曹司の愛妻になりました

「はい。宇川です」
『もしもし。今、なにしてた?』

 耳孔に響く声は、やっぱり色気のある魅惑的なものだった。
 ほんのひと声で、私の身体は反応を示し、頬は熱くなり胸の奥がきゅうっと鳴る。

 私は胸に手を当て、すうっと息を吸った。

「特になにも。近所を散歩していました」

 少し素っ気なく答えたのは、自分の迷いをはっきり断ち切るため。

 そもそも電話を受けたのも、これで彼との繋がりを絶とうと思ったからだ。しかし、意に反して心が苦しい。

 私は自分の靴を見ながら、佐渡谷さんの返答を静かに待つ。

『そうなんだ。だったら、このあとは予定ない? よかったらこれから会えないかな。また食事でも』

 私の突き放し方が伝わりづらかったのか、彼はなにもなかったように誘ってきた。
『食事でも』という言葉に、複雑な心境を抱く。

 また声をかけてくれた喜びと、でもそれは、あくまで彼が仕事に必要だからだと戒める気持ちとで葛藤する。

 私はきゅっと唇を引き結び、数秒間を取ったあと明るく言い放った。

「すみません。私、今日は普段着で出ちゃってますし。それに、今すごくラーメンを食べたい気分で! 食事は別の方と楽しんできてください」

 佐渡谷さんほどの男性なら、私が断ったって代わりに声をかける相手はいくらでもいると思う。
 裏を返せば、一度でも断れば、もうわざわざ私なんか気にかける必要はない。

 ひとときでも素敵な時間を過ごせた。それで十分だ。

 自分の中で懸命に区切りをつけた、刹那。

『ほかの相手なんて考えられないよ。俺はきみを誘いたいんだから』

 信じがたいセリフになにも返せずにいると、彼はさらに続ける。

『今、自宅付近なんだよな?』
「え? は……はい。そうです」
『俺は新宿付近にいるから、ニ十分……いや、十五分待ってくれないか。すぐにそこに行くから。近くに着いたらまた連絡する』
「えっ、ちょっ……」

 佐渡谷さんは一方的に告げると通話を切った。
 私はなにが起きたのかわからず、しばらく茫然と立ち尽くす。

 目の前にあるラーメン屋に入ることさえできず、スマホを握り締めていた。
< 44 / 144 >

この作品をシェア

pagetop